つづき
母乳育児で有名なこの病院
次女の出産のときは
なにがなんでも母乳
代わりのものなんて絶対飲ませない
3時間ごとに必ず看護師が来て
マッサージ→母乳を飲ませる→搾乳
血が出て泣いても
頑張っておっぱいあげよう!っていう病院だったのに
カエナの場合2日目から
粉ミルクあげましょうねと、あっさり混合育児になった
方針変えたのかな?
看護師さんからは哺乳力が弱いからと簡単な説明だけ
病院がそうすると決めたなら、そうしますと、私も納得。
完全母乳にこだわりはなかった
でも、ここまであっさり混合になったからおかしいとは思った
次女のときと、なんか対応が違うなって違和感はあった
何も言われない日が続いて
入院4日目
黄疸の数値が高いと言われ
光線治療が始まった
次女を出産したときも
光線治療したので
青い光の中であなたも治療するのね
きっと血液型が私と違うのかな~って
気楽に考えてる自分もいた
治療で入院のびたりするのかなぁ
やだなぁ~
早く帰りたいなぁ
って、やっぱり身勝手な私
このまま、なにも言われないで
私の勘違いで退院できますように
心で叫んだ
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心の叫びは虚しく、入院は1日延びた
授乳のとき以外は青い光の中で治療
次女の経験もあったので
心配はなかったんだけど
その日、担当の看護師が苦手なタイプで
それが気になって
憂鬱だった
デリカシーない人で
空気読めないっていうか
あえて読みませんって言っちゃいそうな人 笑
こっちはいつ宣告されるか
ドキドキで平常心保てないのに
ガチャガチャされて最悪な気分
笑いながらも
早く交代しないかなぁって思ってたのに
結局、翌日まで担当変わらず
この人のペースで丸1日過ごすはめに・・・
ついてない私
疲労もピークでした
そんなスッキリしない朝
とうとう先生が部屋にやってきた
苦手な看護師と一緒に
いつもハキハキしてる先生の声が震えてた
緊張してるんだなぁと感じた
黄疸の値が基準値になったので退院できること
ダウン症については丁寧に言葉を選びながら宣告
筋肉の緩さ、首のうしろのむくみ
つりあがった目、耳の位置が若干低め・・・
後半はなんか、よく覚えてない
とりあえず、大きな病院で検査しましょう
すぐに予約とりますからって言われて
授乳で寝不足
疲労も重なって
ボーっとしながら宣告を受ける
涙が止まらなかった
先生が出て行くと、大泣きした
緊張の糸が切れちゃった
よりにもよって苦手な看護師の前で大泣き
早くでてけよーって思いながら大泣き
旦那に電話させろよーー
最後まで気が利かない人でした
しばらくして、落ち着いたころ
旦那に電話
宣告されたこと伝えると
すぐに飛んできました
気のせいだよといいながらも
不安だったみたい
そりゃそうだ
旦那が気丈でよかった
それからすぐに退院の手続きを済ませた
産院でるとき、年配の看護師さんが
見送ってくれたんだけど
絶妙なタイミングで
背中をポンポンとされて
頑張るのよ!と一言
笑って出たかったのに泣いちゃいました
それから2ヵ月後
ダウン症候群と診断されました
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入院中は受け入れられなくて
赤ちゃんポストってどこだっけって調べてみたり
隠して育てられるかなとか
しょうもないこと考えて
産まれたばかりなのに
私が死ぬときは一緒に連れて逝こうって
死ぬ日を考えたり
最低な母だった
そんな私が
立ち直れたっていうか
受け入れられたのは
カエナが笑ってくれたから
『新生児微笑』
寝てる赤ちゃんがたまに笑うやつ
顔の筋肉の収縮で笑ってるように見えるだけってことは
ちゃんと知ってる
それでも
私には笑ってるように感じた
カエナの笑顔が私を救ってくれた
産院は1ヶ月検診で行くのをやめました
母乳のことで連絡はあったけど
障害児のフォローはやってない感じ
市の保健師に回されてしまって
私としては、頼りたい場所だったんだけどなぁ
これからいろんなことがあると思うけど
ママとがんばろうね
ありがとうございました