つづき
母乳育児で有名なこの病院
次女の出産のときは
なにがなんでも母乳
代わりのものなんて絶対飲ませない
3時間ごとに必ず看護師が来て
マッサージ→母乳を飲ませる→搾乳
血が出て泣いても![]()
頑張っておっぱいあげよう!っていう病院だったのに
カエナの場合2日目から
粉ミルクあげましょうねと、あっさり混合育児になった
方針変えたのかな?
看護師さんからは哺乳力が弱いからと簡単な説明だけ
病院がそうすると決めたなら、そうしますと、私も納得。
完全母乳にこだわりはなかった
でも、ここまであっさり混合になったからおかしいとは思った
次女のときと、なんか対応が違うなって違和感はあった
何も言われない日が続いて
入院4日目
黄疸の数値が高いと言われ
光線治療が始まった
次女を出産したときも
光線治療したので
青い光の中であなたも治療するのね
きっと血液型が私と違うのかな~って
気楽に考えてる自分もいた![]()
治療で入院のびたりするのかなぁ
やだなぁ~ ![]()
早く帰りたいなぁ
って、やっぱり身勝手な私![]()
このまま、なにも言われないで
私の勘違いで退院できますように
心で叫んだ![]()
![]()
.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+
心の叫びは虚しく、入院は1日延びた
授乳のとき以外は青い光の中で治療![]()
次女の経験もあったので
心配はなかったんだけど
その日、担当の看護師が苦手なタイプで
![]()
それが気になって
憂鬱だった ![]()
デリカシーない人で
空気読めないっていうか
あえて読みませんって言っちゃいそうな人 笑
こっちはいつ宣告されるか
ドキドキで平常心保てないのに
ガチャガチャされて最悪な気分
笑いながらも
早く交代しないかなぁって思ってたのに
結局、翌日まで担当変わらず
この人のペースで丸1日過ごすはめに・・・
ついてない私
疲労もピークでした
そんなスッキリしない朝 ![]()
とうとう先生が部屋にやってきた
苦手な看護師と一緒に
いつもハキハキしてる先生の声が震えてた
緊張してるんだなぁと感じた
黄疸の値が基準値になったので退院できること
ダウン症については丁寧に言葉を選びながら宣告
筋肉の緩さ、首のうしろのむくみ
つりあがった目、耳の位置が若干低め・・・
後半はなんか、よく覚えてない
とりあえず、大きな病院で検査しましょう
すぐに予約とりますからって言われて
授乳
で寝不足
疲労も重なって
ボーっとしながら宣告を受ける
涙が止まらなかった ![]()
![]()
先生が出て行くと、大泣きした
緊張の糸が切れちゃった
よりにもよって苦手な看護師の前で大泣き
早くでてけよーって思いながら大泣き
旦那に電話させろよーー
最後まで気が利かない人でした ![]()
しばらくして、落ち着いたころ
旦那に電話![]()
宣告されたこと伝えると
すぐに飛んできました
気のせいだよといいながらも
不安だったみたい
そりゃそうだ
旦那が気丈でよかった![]()
それからすぐに退院の手続きを済ませた
産院でるとき、年配の看護師さんが
見送ってくれたんだけど
絶妙なタイミングで
背中をポンポンとされて
頑張るのよ!と一言
笑って出たかったのに泣いちゃいました
それから2ヵ月後
ダウン症候群と診断されました
。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚
入院中は受け入れられなくて
赤ちゃんポストってどこだっけって調べてみたり
隠して育てられるかなとか
しょうもないこと考えて
産まれたばかりなのに
私が死ぬときは一緒に連れて逝こうって
死ぬ日を考えたり
最低な母だった
そんな私が
立ち直れたっていうか
受け入れられたのは
カエナが笑ってくれたから ![]()
『新生児微笑』
寝てる赤ちゃんがたまに笑うやつ
顔の筋肉の収縮で笑ってるように見えるだけってことは
ちゃんと知ってる
それでも
私には笑ってるように感じた
カエナの笑顔が私を救ってくれた ![]()
産院は1ヶ月検診で行くのをやめました
母乳のことで連絡はあったけど
障害児のフォローはやってない感じ
市の保健師に回されてしまって
私としては、頼りたい場所だったんだけどなぁ
これからいろんなことがあると思うけど
ママとがんばろうね
ありがとうございました![]()

