∴MOLIVAN∵のブログ -40ページ目

∴MOLIVAN∵のブログ

Success Fortune 筆頭占術士
フォーチュンアカデミー 専任講師

 私用で印刷物をネットで注文した。昨今の印刷料金の安さには驚かされる。A4の光沢紙でカラーなのだが1枚当たりの単価は10円以下。コンビニでカラーコピーするより安価であるし格段に綺麗なのは言うまでも無い。まったく便利な時代になったものだ。
 
 小欄で紹介するカードは、なるべくダブらないように心掛けているのだが今回は例外をお許し頂きたい。ライダーウェイトデッキの作画を担当したパメラ・コールマン・スミス女史がライダー社から商品がリリースされた時に彩色に関して不満を感じていたという。望んでいた色調に仕上がっていなかったのだ。実は、彼女の描いた原画には色が使われておらず、色に関しては女史の指示の元に出版元が着色した。時代は20世紀初頭の1908年の事であり、日本は第一次大戦前の明治の終わり頃である。まだまだ印刷技術が未発達だった事情も理解出来る。しかし、作家としては、陽に焼けた浅黒い肌の色と赤茶色の髪が同じ色だったり、空と遠景の山並みや沿岸の水面が見分けのつかない水色になってしまった事に失望したのも想像に難くない。現代の技術なら雑作も無いような事なのだがオリジナリティの尊重から、今日でも発表当初の色調が使用されている。

 タロットカードのリーディングには、インスピレーションとイマジネーションが不可欠であり、それら無くしては成立しない。タロティストなら、あるカードの肌の色と髪の色が同じに見えても、同じものだとは思っていない。想像力が補完し正しい理解へ導くのである。つまり、何の支障もないのだ。

 子供の頃に夢中になって観ていた特撮ヒーロー番組やSF映画の中で背中のチャックが見えようと、宇宙船を釣り下げているワイヤーに気付こうとも楽しさは半減しなかった。今日に於いてもガチャピンやふなっしーの中に人が居る事を誰もが知っていてなお面白がっている。粗探しをする為にTVにかじりついていた訳では無い。ソレを言うのならば、全ての舞台演劇やドラマは造り物である。それで良いのだ。粗探しや批判的な視点に立つより、想像力を発揮させ感情移入して浸る方が遥かに作品を味わう事が出来るだろう。
 
 人類の特権は知性だけでは無い。この直観力や想像力もまた人類が人類故の能力なのではないだろうか。だからパメラ女史には、どうか安心して空の上から見守っていて頂きたい。貴女の功績の恩恵を受け継いだ想像力豊かな現代のタロティスト達の活躍を。


 かつて一大決心を下して大量のレコード盤を処分した事がある。いささか大袈裟な話に思われるかも知れないが初めて手に入れた愛車を手放した時より、生まれ育った実家が解体されて行く様子を見ていた時より、心の何処かが削り取られて行くような大きな喪失感をヒシヒシと感じながら作業した覚えがある。実質的には、殆どのレコードコレクションをCDで買い直した事で利便性は向上し占有空間も減り、得るものはあっても何も失われてはいない。実質的には。

 けれど何だかレコード盤との間にあった親近感や特別な宝物を所有する喜びはCDとの関係には生まれなかった。そうこうする間にパソコンの性能が向上し、所有するCDを片っ端からハードディスクに取り込んで行く事になる。気付けば、CDのケースを開けたのは、その時1回だけでもっぱらPC内のデータを聞いているなんてことになっていた。ならば、もう<CDディスク>自体に意味も価値も無いなと薄々は当時から思ってはいたものの、ダウンロードでデータだけを買うのは気乗りがしなかった。未練や矛盾や合理性が気持ちの中でカオス状態を形成して、時代の流れに環境適応しきれていない。「ガラパゴス島のコモドオオトカゲで結構だ。適応したいと思っちゃいない!」と負け惜しみも言っておく。

 だがどうだ、昨今の音楽配信サービスは月に1枚のCDを買うよりも安価でクラウド上の楽曲が好きなだけ聞ける。これなら自分でCDを買って取り込む手間も無く、保管スペースもゼロ。しかも経済的。まだ、多少は心がチクチクしなくもないのだが今回は、遅れ馳せながら運命の輪に身を委ね時代の流れに乗って行こうと思っている。


 もう間もなく平成の世が終わるという頃に、ある一人の昭和のスタアが逝ってしまった。奇遇にも彼の事を数週前に当ブログで書いたばかりである。訃報を知らせる報道によれば、患っていたのは極めて稀な病気でここ数年の間、闘病中だったとのことである。身近な者に箝口令を敷き、その病名をメディアには伏せて気丈に仕事を続けていたそうだ。若い頃から体制に迎合しないアウトロー的なイメージが強い人であった。そこに、憧れた。時に少々道を踏み外し世間を騒がせもした。それらの事さえ、どこか彼らしいと思えた。実際、4回も逮捕されてなお活躍し続けた芸能人が他に居るだろうか。亡くなる前々日には三度目の結婚相手で一回りほど歳の若い奥様とスポーツジムで汗を流していたとのこと。その翌日に体調を崩し病院に搬送され、入院二日目に奥様に見守れて静かに旅立って行った。どこまでもドラマティックな生きざまである。されど早過ぎる別れが惜しく悲しくてならない。一ファンの勝手な思いとしては、「純で強くてナイーブそれでいてどこか不器用ではみ出して行く」役柄そのままの萩原健一が病院のベッドの上で体中チューブに繋がれた姿なんて想像もしたくない。同時に何としてでも生還して欲しかったとも思う。御本人は、どう思われていたのだろうか。もはやそれを知る由もないのだが、ふと細川ガラシャの辞世の句が頭をかすめる。

「散るぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」

 萩原健一という人はカッコイイ人でした。否、カッコいい人です。これからもずっと僕らの記憶の中でオサムちゃんでありマカロニ刑事であり、ショーケンとして存在し続けてくれるのです。生き方も逝き方もショーケンらしかったと弔意を述べさせて頂きたい。

 画像はライダーウェイトデッキ全78枚中で唯一、人の姿も身体の一部さえも描かれていないカードである。非人為的な出来事、突発的な事態の変化、潔い別れ等を暗示する。きっと、今日からはワンドの8を見る度に思い出すのだろう。桜も散らない早春に本当の星になってしまったスタアの事を。
 




(当連載は2018年記述の加筆再掲載である)