過日、墓参りに行ってきた。当日は多少風が吹いたが天候に恵まれた良い日和だった。久しぶりに顔を合わせた兄夫妻も健康そうで何よりである。そう書き始めて、このカードを紹介するには違和感があると思われそうだが話を続けよう。
画像は1JJデッキからの1枚である。これは数多あるタロットカードのデザインの中でもひと際、刺激的で印象に残るカードの一枚であろう。それ故、映画やアニメ・コミック等で見かける事が多く、もしかすると一般的には最も有名なタロットカードなのかもしれない。占いの専門家でも無く、タロットに殊更興味を持っていなくてもドラマの中で凶事のシンボルとして、あるいは凶悪な知能犯の犯行予告のシーン等で登場する。だから多くの方が一度や二度は、何処かで見た覚えがあるのではないだろうか。その点では、このカードはタロット界の有名人であり、セレブといったところか。
しかし、その反面、誤解の多いカードでもある。それは、まずタイトルがDEATH(死)であり、大概の邦訳では「死神」とされ、その数字はⅩⅢ。キリスト教圏に於いては、忌み嫌われる不吉な数字が割り振られ、構図は生々しい骨格標本の様な骸骨が大きな鎌を振っている。もうこれだけで十分に禍々しく不穏な印象を醸し出している。誰が見たって縁起の良いカードには見えない。それは誤解と書いたが正確には、むしろ偽装である。敢えて、不気味で近寄り難い印象を強く打ち出しているのだ。
骸骨が手にしている鎌は、農具であって武器では無い。収穫の終わった畑に残った茎や下草を刈り、春に備える為の道具である。背景に描かれたピラミッドにしても王の墓所ではあるものの、古代エジプトに於いての王と墓所の意味を正しく理解しなければならない。先ず王は人間では無い。神なのである。次にピラミッドは死者の遺体を埋葬し魂を安置する場所では無く、復活の時まで身体を保管しておくための神聖な家である。つまり、大鎌を手にした骸骨にせよ、ピラミッドにせよ暗示しているのは死では無く再生なのだ。
タロットカードが示す意味は、表面的な偽装の奥に真意が隠される。これは、過去の賢者達の知恵であり極めて機能的なシステムである。「知るべき者だけに教え、知るべきで無い者には悟らせない」この規範があったからこそ現代においても秘儀は伝承され、これからも伝えられ続ける事になる。このカードが表しているのが死では無く再生であり、自然の摂理に反した不死などではない。タロットの先人達の偉業を尊重しそれに学び継承して行くことは、亡き家族に思いを寄せ回向する気持ちと全く同じである。教えや精神性を大切にするということは、今は亡き者の魂が引き継がれ再生していると解釈して良いのである。
かつて叱ってくれた親の言葉や愛情を注がれた事を思い出し、草葉の陰で少しでも安心していてもらえるような息子であろうと墓前に誓って来た。

ブログ上で政治の話をするつもりは毛頭ないのだが世界が平和へ向かうことを願って止まない。
もう、両国の誰も傷付けず犠牲にならず戦争をやめようよ。両国の代表者二人が顔を合わせて話し合うことはできないのだろうか?世相に疎い身の上で軽々に口を開くべきではないのだろうが此処からはタロットカードの事であるから話は別である。
画像のカードをご覧になって絵柄に何か違和感を覚えるのではなかろうか。それは、世界的なスタンダードで当ブログにも頻繁に登場するライダーウェイトデッキのカードに似ているが違う、別物のデッキだからである。このカードは、ライダーウェイトデッキを踏襲しつつ、各カードを<後ろ側から見た視点>で描かれた*ニュービジョンデッキと言う名の変わり種なのだ。このユニークなタロットカードは、実践用と捉えるより、各カードに対する理解を深める為の研究・学習用といった趣が強いと思われる。実際のところ紙質も良いとは言えず絵も荒く、解釈も所々に異を唱えたくなる節もあり、このデッキを占いのメインツールとして使用することはお奨めしかねる。だが面白い。実に面白い。ご興味のある方は、実際に手に取ってみると良いだろう。
このニュービジョンデッキと同様の試みとして、ライダーウェイトデッキ各カードの<その後>を描いたアフタータロットなる製品も同じイタリアのスカラベ社からリリースされている。いずれ、之も機会があれば御紹介するとして話を戻そう。
カップの2の意味は一般的に、契約、協力、友情、恋の始まり、パートナーシップなどが知られている。これらの意味に共通する大事な要素は、どちらかが相手に歩み寄った結果、形成される関係であるという事だ。お互いが様子を見ているだけでは何も始まらない。画中の男性と思しき人物の足元に注目して欲しい。向かい合うもう一者の象徴である女性の方向に歩み出しているのだ。
更に二者間の協力関係を敢えてひねくれた形で想定するなら、犯罪に於ける共犯関係の様に悪だくみの場合も当てはまる事になってしまう。しかし、どうだろう。このニュービジョン・タロットデッキは、通常版では見えていなかった両者の手前に平和の象徴である白いハトが羽ばたく姿が描かれている。これにより悪意や良からぬ下心の可能性は排除された事になる。性善説的な解釈は、占いの実践的な場面では片手落ちな不備を発生させてしまうが精神論としては理想形であろう。
米朝間に限らず、様々なケースで平和へ向かう合意と協力が結ばれて行って欲しいと思う。この点に関しては、理想を色褪せさせてはならない。まだ遠き道程ではあるのだろうが一歩を踏み出さなくてはならないのだ。

過日、ネットで見かけた記事に書かれていた。「ありがとう」の反対語は?。という内容である。この問いに確信を持って即答できる方ばかりではないだろう。だからこそ敢えて、ここでも触れておきたい。「ありがとう」の反対語は、「コノヤロー」でもなければ「大きなお世話」でもない。そんな事は、言われなくても判ったいるとお叱りを受けそうなので本題に入ろう。
「ありがとう」の語源は、形容詞「有り難し」。それが転じて現在の「ありがとう」という感謝の意を表す挨拶語になった。有り難いとは、存在が稀である。なかなかありそうもない。珍しい。と言う意味。つまり、普通では起こり得ない殊勝な事や人。これの反対語が今回の答えになる訳だ。
解答は「当たり前」
感謝の気持ちを忘れてはならない。「ありがとう」と言える自分であり続けたい。いつか何処かの感覚がマヒして感謝するべき時にそれを「当たり前だ」なんぞと思うようになってはいけない。簡単な事のように思えて難しい?否。ちっとも難しいことじゃない。簡単なことだ。自戒の気持ちを込めて此処に記すことにしよう。
画像のカードは、お馴染みのライダーウェイトデッキ。カップの6。6という数字は、上下に重なり合う二つの三角形で構成される六芒星の形で表現され、調和やバランスを意味する。カップという情緒を司る属性と相まって、そこに「安堵」「郷愁」「感謝」などの暗示が読み取れる。カップの中には、<形の揃った白い花>が盛り込まれている。この花は、野山で摘み取って来た物では無く、手をかけて育てた事を意味している。心の中身は、自分自身の経験と解釈によって作られているのだ。美しい心でいる事で自分の全ての経験が意味のある花と咲く。心が濁れば、同じ経験がトゲだらけの記憶になってしまうのだ。
「ありがとう」素敵な言葉だ。
