今年の台風シーズンは。我が家には大きな被害も出ず、停電などの不便にも見舞われずに済んだ。強風が予測されるときには可能な限りリビングに避難させていたベランダ菜園のプランター類が不覚にも床に丸や四角の形を残してしまった。敷いた新聞紙が足りなかった。失敗である。浴室用の洗剤とブラシで床掃除とあいなった。
今回の話も前回の引き続きである。「なぜ以前のようにコンサートにときめかないのか」の件。
甚だ不謹慎ながら、TVで台風の被害状況を見ていて思った。「自然災害で車や家が急に使い物にならなくなったら、泣くに泣けないだろうなあ・・」。なぜ?どうして「車や家」だと泣くに泣けないと私は感じたのか。そりゃあ高価な物であって、簡単に買い直せる訳じゃ無いし不便極まりないから。
ならば一度、考察を台風から離してみよう。もし、仮に自分が平常時に家や車を購入する事になれば、そりゃあ展示場に何度も足を運んだり、販売店で試乗もするだろう。自分にとっての合理的な正しい選択を下す為に資料やカタログに何度も目を通し、いざ契約を交わしてからは引き渡しの日をワクワクしながら待つ事になるだろう。
ワクワクしながら?おいおい、最近のコンサートに心が躍らなくなった原因が金額の問題?そりゃ、確かに昨今の日本ではチケット料金が高騰している気がするが学生時代の個人的経済状況から比べれば大人になった今はチケット代の捻出にさほど苦心することはない。少なくと、その為に睡眠時間を削ってアルバイトに行きはしない。
前回までの考察では、ワクワクしなくなっている原因が「時代の流れとは関係なく自分自身の問題であろう」いうところまでは推察したが、今回新たに金額問題が浮上してきた。これは嫌だな。なんとか否定したい。憧れのミュージシャンのコンサートに感じた、あの忘れ難く純粋に心躍らせた至福の時が当時のお財布事情と関係しているだなんて思いたくないし受け入れられない。自分で立てた仮説が大いに気にくわない。困った事になって来た・・・。
画像はライダーウェイトデッキのペンタクルの5。雪が降り凍てつく夜道を不遇な者達があてども無く歩き続けている。教会のステンドガラスの中は、温かい愛で満たされているのだろう。しかし、世を恨み他人を妬む二人は、その事に気付きもせず、ただそこを通り過ぎようとしている。彼らには、この不思議な教会の入り口を見つけられない。手の届かない所に窓が描かれているだけなのだ。しかし、いつの日か彼等の心に変革が起き、この頃とは<逆>の精神性に到達した暁には、ミステリアスで神聖な教会の入り口が忽然と現れる。

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