彼女は待ち合わせの中華料理屋に30分ほど遅れて入ってきた。
そしてスーツ姿の僕の格好を見て驚いたように言った。
「ねぇ、どうしたのその格好?」
「色々あってね」僕は言う。
「あなたのスーツ姿って初めて見た気がするわ」
「そうだね。結婚式や葬式以外ではこんな窮屈な格好はしたくないしね」
僕は苦笑いをしながら言う。
「ところで何があったの?良かったら教えてくれない?」
「たいした話じゃないんだ」
「でも気になるわ」
そういうと彼女は店員を呼び手際よくオーダーを済ませ話を聞く体勢に入った。
「多分よくある話だとおもうんだけど」
仕方なく僕はスーツの理由をかいつまんで話すことにした。
「君の来る1時間前――つまり約束の時間の30分前――僕はこの席でまずビールを飲んだ。いつもの様に文庫本を読みながらね。30分位してトイレに行きたくなって僕は席を立った。そして用を足して洗面所で手を洗っていたら、スーツ姿の男が勢い良く駆け込んできたんだ。彼は息を切らしていてどこか追い詰められた感じがした。きっと、本当に追い詰められていたんだと思う。彼は僕に気付くとこう言ったんだ。
『すまないけど君の着てる服と僕の服をそっくり交換してくれないか?詳しい理由を説明している時間は無いんだ。僕は今追われていて、変装してこの場を切り抜けたい。見たところ君と僕の背格好は丁度同じくらいだ。分かってくれ、やつらに捕まったらおしまいなんだ』
僕はしばらく考えた。その間彼はソワソワしながらトイレの中を歩き回っていた。僕の格好と言ったらいつものパーカーにジーンズ。どちらも1週間は洗ってない。それに対して彼の服はどう見てもブランド物だったから、別にいいかなって思ったんだ。
で、取引成立。
彼は『ありがとう、恩に着るよ』と言って慌しい厨房を駆け抜け裏口から急いで出て行った・・・というわけさ」
彼女は僕のスーツをあらためて眺めて
「それでこれがその人の着ていたスーツなのね」と言った。
「そう。不思議なくらい僕にフィットしてる」
そしてしばらく考え込んだ後、僕に言った。
「そうね・・・確かによくある話ね」
