『ユガワラ』
僕は門番に告げた。
その途端僕の周りの2m四方に檻が現れ、僕はその中に閉じ込められてしまった。
気がつくと天井がゆっくりと降りてくるのが分かる。
僕はどこかで間違えてしまったのだ。
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新聞広告の求人欄がきっかけで僕はこの仕事を始めることになった。
書類やらディスクやらを約束の場所に運ぶ仕事だ。
中身が何であるのか僕には全く興味が無かった。
しかも、大体の場合において相手は主婦だったり、コンビニの店員だったりといった普通の人だった。
そういう人たちに封筒を渡すだけで1日に1万が手に入った。
しかし、それを50件くらいこなすと次は、ちょっとランクアップされた相手の仕事がもらえる。
――もちろん、本人の希望があればだが――
マンションのオーナーだとか、学校の校長といった位の人々を相手にする。
大体それで1回5万円くらいになる。
そして次は・・・という様にランクアップされていくのだ。
僕は現在1回500万円クラスの仕事を請け負っている。
僕らの仲間内ではSクラスと言われている階級だ。
このSクラスには今までの仕事の成功率もさることながら、もう1つ重要な条件がある。
それは「印象に残らないような人物」という要素が何よりも大切なのだ。
つまり、誰よりも業績をあげていながら、誰からも気が付かれないくらいの圧倒的な匿名性が必要なのだ。
つまり、僕にはそれがあった。
人の印象に残らないという点では僕はちょっとしたものだ。
毎日通ってる行きつけの居酒屋でも顔を覚えてもらえないし、同じ女の子に何回も振られてしまったり、レストランでは「少々お待ち下さい」と言われたまま、閉店まで待たされたり。
そんな僕でも1つくらい向いた仕事はあるのだ。
おかげで僕は今の会社でただひとりのSクラスの階級を手に入れる事ができたのだ。
人生とは様々なところで実に上手く回っている。
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天井はゆっくりゆっくりと僕に向かって降りてくる。
「ちょっと、上の人に取り次いでくれないかな、『ユラワラ』」
僕は門番らしい人物に言う。
「そのためにはあ、あ、合言葉が必要なんだよ」
どもりながら門番の男が言う。
出掛けに合言葉を聞いてきたのだが、つい忘れてしまったのだ。
覚えているのは『ゆ』から始まる言葉で『ユガワラ』に似ているという事だけだ。
大切な合言葉を忘れてしまう程、僕はすっかり慢心していたのだ。
さっきより天井が迫って来てるのがはっきりと分かる。
「あ、あ、合言葉をメモしなかったのかい」門番は僕に聞く。
「『ユアラワ』合言葉を『ユサラガ』メモして『ユタワマ』大事な『ユカタラ』書類と『ユヘラダ』セット『ユカザワ』するのかい?『ユナサワ』『ユカダラ』僕らの『ユバラマ』業界では『ユサラナ』それは『ユタララ』タブーと『ユララワ』されている『ユゲラマ』」
僕は会話の中になるべく多くの言葉を挟む。
こうした時間も無駄には出来ないのだ。
だいいち、合言葉という言葉をいちいちどもるような門番だ、本当に合言葉を覚えてるかも怪しい。
僕は心に決めた。迷ってる時間は無い。
「やっぱり、合言葉は『ユガワラ』だ。あの神奈川県の湯河原だよ。僕は神奈川県については一家言あるんだ。僕が湯河原の事を間違って覚えるはずがない」
「でも、あ、あ、合言葉は違う」
「違くない!」僕は激しい口調で告げる。そして今度はゆっくりと話し始める。
「いいかい、JR東海道線を東京から約100kmの場所にあり、神奈川県の西南端に位置し、相模湾を東に望み、三方を箱根外輪山や伊豆・熱海の山々に囲まれ、一年を通じ温暖で、風光明媚な環境にある湯河原の事を僕が間違えるとでも?」
「いや、そうは言ってないけど」
僕は間髪入れずに湯河原の概要に関して話し始める。
「いいかい?湯河原町は、古くは万葉の時代から温泉地として、人々に知られていた土地だ。君もそれくらいは知ってるよね?それでも現在の湯河原町の成立にはそれなりの紆余曲折があった。まず江戸時代には、現在の福浦地区を除く宮上村・宮下村・門川村・城堀村・鍛冶屋村・吉浜村・を土肥6ケ村とした所から始まる。そして明治17年に、この6ケ村が連合して吉浜村に戸長役場を置き、吉浜村外5ケ村とし、明治22年4月町村制が施行され、宮上村・宮下村・門川村・城堀村の4ケ村を併せて土肥村、吉浜村・鍛冶屋村を併せて吉浜村と称した。その後大正15年7月1日、土肥村はようやく湯河原町となり、昭和15年4月1日、吉浜村は吉浜町となった。更に昭和21年8月1日、福浦村は、真鶴町外2ケ村組合から分離し、その第一歩を踏み出した。湯河原は観光地、吉浜は農業地、福浦は漁業地として一般の知るところとなったが、昭和28年9月1日に公布された町村合併促進法に基づき、2年後の昭和30年4月1日に湯河原町・吉浜町・福浦村の2町1村が合併し、現在の湯河原町が誕生した。・・・他の誰が湯河原についてここまで言えると思う?」
僕はここまでいうと天井を見上げる。あと10cmで僕の頭の高さになる。
「気持ちは分かるけど、あ、あ、合言葉じゃない」
「でも『ゆ』で始まるんだろう?」
「うん。『ゆ』ではじまる。本当はルールで言っちゃいけないんだ。でも、君があまりに熱心だから特別に教えるけど・・・」
門番は気の毒そうに僕に告げる。
熱心なのは当たり前だ。ぺしゃんこになるのは誰だってゴメンだ。
「でも、その合言葉は『ユガワラ』に似ている」
「うん」
「似ているという事は『ユガワラ』では無いんだね」
「残念だけど」
僕はため息をつく、天井が僕の頭に触れる。
「なぁ、ヒントをくれないかな」僕は言う。
「あ、あ、合言葉のヒントなんて聞いたこと無いよ」
「でも、僕の懐にはとても大切な書類が入ってる。君が融通を利かせれば助かる情報だ。分かるよね?君の手違いによってこの情報は損なわれる事になる。今度は僕の次に君がここでぺしゃんこになる順番だ。それとも君はぺしゃんこになりたいのかい?」
「ぺしゃんこにはなりたくない」
「そうだろう。僕だってそうだ。きっとここの依頼主は損なわれた情報の腹いせに君を半分生かしたまま小型の肉食獣のいる部屋に君を置き去りにする。君はそこでその小型の肉食獣にゆっくりと食いちぎられてゆく。いいかい、半分生きたままだ。君の残り半分の生はお腹を空かせた小型の肉食獣によって奪われ、失われていくんだ。そしてその小型の肉食獣は最後に君のその頭に穴を開け、脳みそをペロペロといつまでも飽きもせずに美味そうに舐め続けるんだ」
門番の顔色は見る見るうちに変わって行く。
僕はもう、ひざをついている。時間はほとんど残っていない。
「僕の持っている情報は本物だ。残念だけど中は教えられない。でも、無限にある言葉の中で『ユガワラ』に辿り着いたんだ。これだけでも相当信頼度が高いと思っていい。それとも、脳みそをペロペロされたいかい?小型の肉食獣がその粗い舌先で君の脳みそを舐めあげるところを想像してごらん」
門番はまっしろな顔色になって小刻みに震える。
「嫌ならば、今すぐ機械を止めるんだ。僕なら君を助けてあげられる」
すでに僕は床に伏せている。
もうだめだと思った瞬間に機械がうなりをあげて逆回転し始めた。
僕は助かった。そして、門番も小型の肉食獣に食べられずに済んだ。
良かった。
僕は服についた埃を払い、門番にお礼をいうと、通路の先にあるドアの鍵をもらう。
「この先で合言葉が必要になると困るから正解を知っておきたいんだけど」
僕は彼に聞く。彼はまだ震えている。
僕の命がかかっていたとはいえ、ちょっと可哀想な事をした気になった。
彼は何も言わずに機械のモニターを指差した。
そこには「ユリゲラー」と入力されていた。
・・・あぁ、微妙に似ている・・・。
