「えっと・・・ここは」ナオキはムラセさんに尋ねる。
「ここがノスタルジー工場よ」ムラセさんは僕に言う。
ナオキは言葉を失う。これは悪い冗談だとも思う。立ち退きを拒んだ1軒の家がここにあるとしか思えない。
「驚いたでしょ?」ムラセさんはナオキの顔をみて言う。
「みんな最初にここに来る時はあなたのような表情をするのよ」
「君もそうだったの?」ナオキはムラセさんに尋ねる。
「ええ、多分そうね」ムラセさんは素敵に微笑む。
そして狭い間口から中に入る。目の前に窮屈で急な階段が現れる。1階の奥の方で腕カバーをした女性が書類を輪ゴムでまとめている。AMラジオではリスナーが電話で不倫の体験を告白している。玄関には鮭を捕らえる熊の木彫りと日めくりのカレンダーがある。カレンダーには「何事もあせらずに」と印刷されている。
彼らは2階に上がる。
ムラセさんの説明によると1階は社長である大久保さんの住居になっていて2階が工場として使われている。
工場では数人の従業員がせっせと何かを書き込んでいる。
そう、今まさにノスタルジーがここで作られている。
ムラセさんはナオキに大久保さんを紹介したが、大久保さんはその場を離れず、こちらをチラと見てまた仕事を始めた。ムラセさんは「社長はああいう人なの。気にしないで」と笑った。
一通り作業を見るとナオキは1階の応接室で、資料を基にこの工場の説明を受ける。
ノスタルジーは非常にデリケートな作りをしている。実に80もの工程を一つ一つ丁寧に順序良くこなしていかなければならない。そのひとつが欠けてもそれはノスタルジーではなくなってしまう。
80と言えばちょっとしたものだ。
「やれやれ」ナオキは思う。
予定の字数では80もの工程を書くことさえも出来ない。ナオキはノスタルジー工場の事を記事にするのはあきらめる事にした。
誰だって工場内の80もの工程を読みたいとは思わない。タウン誌の読者ならなおさらだ。
ナオキはその後、写真を撮り、メモを取り続けたが、それはもう特に意味のある作業ではなくなっていた。
