事実、この町の産業はノスタルジー工場に支えられている。昭和40年代これといった産業も無かったこの土地に、県が受け皿を作りいくつかの工場を誘致した。
その1つにこのノスタルジー工場があった。
工場はこの町に鉄道を作った。2両編成のミニ鉄道だ。
国鉄の古い車両を安く買い取ったため、実に様々な色と形の車両を見ることが出来た。そしてどの駅の周りの食堂もいつも活気に満ちあふれていた。
この街は確かにその時期、日本を支えていたのだ。
永遠とも思えた急成長も昭和40年代後半に、少しづつかげりを見せ始める。京浜臨海部を始めとする四大工業地帯の工場集積や人口集中により、地価の高騰や用水不足、公害などが深刻化してきたのだ。そしてそれはこの土地を丸呑みにしてゆく。いくつかの工場がこの地から撤退を始めていった。
さらに景気がひと段落すると、もはやこの土地に工場をもつ企業はほとんど無くなってしまった。賑わいを見せた沿線もいつしか寂びれてゆき、遂には12ある駅全てが無人駅となった。
それでもノスタルジー工場はここにとどまり、そして更にしっかりとこの地に根を下ろした。
