ジョシュア・エイブラハム・ノートンは、1819年、貧しいユダヤ人農夫の子としてロンドンに生まれました。

その後ブラジルに移り、初めて彼がアメリカの地を踏んだのは1849年のこと。


そう、カリフォルニアで金鉱が発見されゴールド・ラッシュに沸き返っていた、あの1849年のことです。

彼はなけなしの4ドルを、サンフランシスコの土地の融資につぎ込むことにします。

事業は折からの好景気で大成功、たった4年で資本を25万ドルにまで増やすことに成功しました。

サンフランシスコでも有数の成功者になったノートンのことを人々はいつしか「皇帝」と呼ぶようになりました。

しかし、このことが彼に大きな勘違いを生むことになってしまいます。


わずか2年後、事業に失敗した彼は1文無しとなり町からも姿を消してしまいます。


そして、人々は徐々にノートンのことなど忘れていきました。

彼が再びこの地に戻ってきたのは1854年9月のことでした。


ノートンはどこから手に入れたのか、陸軍大佐の服を着て地元の「コール」紙の編集室に姿を見せたのです。そしてこう言いました。

「合衆国国民の要望により余はアメリカ合衆国の皇帝であることを宣言する。」

1859年にはこの宣言が地元紙の1面を飾ることになります。

そして普通なら受け入れられるはずのないこの宣言をサンフランシスコの人々は喜んで受け入れたのです。

彼らはお金に不自由していたノートン皇帝のために彼の発行した債券を買い、彼が独自に発行した紙幣までも快く受け取りました。


その他、公共の交通機関は全て無料、サンフランシスコのレストランも全て無料で彼に食事を提供するという徹底ぶりでした。

必需品は親切な人から提供され、衣服は市議会で予算が計上されました。

こうしてノートンは20年もの間、アメリカ合衆国史上唯一の皇帝として帝位につき続けました。

サンフランシスコのシンボルであり、多くの市民に愛された彼も1880年1月8日に、とうとうこの世を去ってしまいます。

そんな彼の墓石にはこう刻まれていたそうです。

「アメリカ合衆国皇帝 メキシコの護国卿ノートン1世ジョシュア・A・ノートン」

そして、新聞記事にはこう記されました。

「彼は誰も殺さず、誰からも奪わず、誰をも追放しなかった。」と。

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アメリカのニュースを見ると、ふと彼のことを思いだしてしまいます。