トイレの中でこんにちは、的に、お袋の小言みたいのを書くぞな。









うざ
きも
●ね


最近子供が一言目からこれを言う。


別に大して腹は立たないが、さすがに●ねは、いかんだろ。





明日も今日が続くと信じて止まないから言えるのだろうが。

この世界中で、今、私がいなくなって困るのは
唯一人、君だけだ。

他の誰も困らない。

多少悲しんでくれる人はいれど
今困るのは、間違いない
君だけだ。





そして思う。

今日が明日も続くならいい。
でも、その確約はない。




君が最後に私に放った言葉がもしそれだったなら。

それはきっと、次にはその暴言を二度と言えなくなった時に、君の後悔になる。


相手がさして良い母親でなかったとしても
君言うところの親ガチャしくじっていたとしてもだ。


もう二度と言えなくなった時に

私に対してでもない、

君自身の罪悪感になる。




何故って、相手に決して、悪かったと伝えられないから。
自分を許すチャンスが、その時にはもう、決して訪れないから。





ごめんね、を言うのは
多分相手に届くと思えるから意味があるんだ。


勿論それを受け入れるか?は相手の自由で。
受け入れられない場合も勿論ある。



しかし、自分が悪かったと思って、それを相手に伝える、というところまでは自分の範疇で。

究極、人が謝りたいってのは
自分を許したいからなんだと思う。

自分に許されたいから。
ある種のエゴ。





でもたとえエゴでもいい。
悪かったと思ったなら、すまなかったと悪かったとごめんなさいと
言える時に言った方がいい。




そして何より
確約のないものに対しての暴言は
だから、決して言わない方がいい。




うざ
きも

構わない構わない。

でも、●ね、はダメだ。




いつかは必ず
だれしも必ず

でもそれは、私の一存では選べないから。

君が私にごめんと言えるか?
私は約束出来ないから。




私が許さないはずがない、きっと許すでしょ?
と、きっと君は思うだろうが


決して、そこにいる私、には伝えられない、その時
その時には、最終最後
君が、自分で自分を許すチャンスが

そこにはないんだよ。




もはや私のためじゃない。
自分自身のために、言ってはならぬ言葉はあるからね。




…まぁいくら言ったって
多分今の君には
さして響かないのだろうけどねえー











だから一応書いとくよ。

君が巡り巡ってここに来るかも知らんが
いや、来ない可能性の方が限りなく高いが(笑)





私は許してる
あなたがどんなでも
究極愛してる

いい子でも悪い子でも
賢くてもそうでなくても

あなたがあなたであるだけで
私はあなたを全部、愛してる

幸せであれ
罪悪感はなるべくない人生であれ
母に放った暴言で苦しむなかれ



放ってはならぬ言葉は何か
いつかは知る人間で、在れ。