この間
突き指をした子供を整形外科に連れて行った。

待合室のTVでは、年金生活者の誤算?まさか?みたいな内容のコーナーが流れている。




あー
見たくないし、聞きたくない
でも真剣に見ている私。


考えたくないから
見て見ぬ振りしてる話。





長生きはしたくない。
子供が成人して軌道に乗ったら
わりと早くおさらばしたい。

そういう思いはずっとある。



でも、軌道に乗ったら、とはいつなのだろうと
思う。
いや、私がそう思う時、はいつなのだろうと。



社会人になったばかりなら、まだ心配だとか。
もし結婚するならやっぱりこんな親でもいた方がいいかな、とか。
もし出産するなら、何だかんだで私も母の存在には(特に産後)救われたな、とか。



結局、わりと早く、の日は
私の未練の分、未知。




でもいつからだろうか。

離婚した頃から?

いや、そこから更に、40が見えてきた辺りから?

自分の老後が実際身近になったからだな。




私は私の老後について考えたくないし
考えなくて済む間におさらばしたいという思いが
静かに静かに心の底に水溜まりになっていく。


親ひとり子ひとり

今までの私の生き方を振り返る時。
老後の私は、子供の荷物にこそなれ、あまりプラスの助けにはならないことが、歳を重ねるごとに何より自分にしみじみと染みてくる。
因果応報ってやつだ。






未練はある。
色々ある。
いつ終わってもいいなんては、少なくとも今の私は思わない。



しかし、そろそろエアコンを買い替えなくては、と思う反対側で
あと10年、ここでそのエアコンを使うだろうか?
買うにしろ安いものにしておいた方がいいか、とか。

15年乗ってきた車、車検も1年おきだし、税金も上がったし、新しい軽自動車を買うべきか?と思う反対側で
あとどれだけ乗るのか?
まだ走るなら買い替えよりはこのままの方が結局は安いか、とか。

何なら花苗を買う時も毎度、これ以上増やしたら、片付けるのは子供か、とか。





水溜まりは別に凪いだまま。
波なんて起きないし。
ポタポタと滴が垂れて波紋が出来るわけでもないけれど

心の壁からじんわりじんわり滲み出して
いつの間にか水溜まりの水かさは昔より深い。





未練はある。
だからこうやって呟いて、未練をしっかり認識して、見て見ぬ振りしてても、そんな、自分に都合の良いように事は運ばないさ、覚悟して、だからしっかり、どうにかなるようにしておかなきゃならんのだ、と自分に分からせる。


だからただの、本当にただのつぶやき。






突き指は特に骨に異常もなく、湿布で快方に向かうよう。

私と違いすらりと長い指を持つ娘。
ピアノも弾くからか、珍しく強く、指が曲がるのは絶対嫌だ!というので、大事を取って受診したが、まぁ良かった。