映画『レンブラントは誰の手に』感想 | 杢ログ-Mokulog-

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特にレンブラントのファンというわけではなく、かと言って絵画好きというわけでもなく。

なにか映画が観たいな~あ~…おっ?なんだこれは…?という直感で選んだものでした。

ちょっと嘘です。予告に出ていた人がイケメンだったから見たいと思いました。

 

そんなこんなで特に中身も確かめず勘と出演者の顔の良さだけで作品を選ぶ、という魔が差しまくりの動機の映画を観たのですが、これがなかなかどうしておもしろかった!

 

 

 

本当にマジで映画の中身何も知らずに観たんですが、あれ…?あれ…これ…ドキュメンタリー映画か…!?と途中で気付く。

 

ドキュメンタリー映画なんですけど、ドキュメンタリー映画っぽくない。凄く良い意味で。

人間を撮るカメラワークはわりと雑というかインタビュー映像的カメラワークなんですが、絵画を映すカメラワークは凝りに凝っている。

そう、映画の主役は人間ではなく。絵画。

「絵画に夢中になる人間」のドキュメンタリー以上に「多くの人間を夢中にさせる絵画」のドキュメンタリー。

 

ドキュメンタリーとは「記録映像」のことを言いますが、途中途中、ドラマチックな演出が入る。

闇の中に光りが灯って明るくなる、逆に光りが消えて闇に閉ざされる。

そういう演出、というか効果、かな、が入る時はレンブラントに魅せられた人間達の心情表現である事が多い気がしました。

レンブラントは「光の魔術師」と称された画家です。

映像の構成、効果にまさしくレンブラントが得意としていた技法を映像に落とし込んでいるのです。

 

この映画、原題は「My Rembrandt」なのですが邦題は「レンブラントは誰の手に」なんですよね。

私はたびたび「邦題になるとダサいな!」とキレ散らかす事が多いのですが、今回はものすごくセンスが良いと思った。

原題の方は直訳すると「私のレンブラント」ですが、邦題になるとまるで真逆の意味になる。

それぞれ思い思いのレンブラントへの執着があり、一方ではこの崇高なる美術品・芸術品の所有の定義はいかにすべきか?という問いかけのようにも思える。

誰のものでもあって良いと思うし、誰のものにもしてはいけない気もするし、彼の絵を愛する全ての人のものになっても良い気がする。

 

私が一番好きだったのは、読書する女性の絵をこよなく愛するバックルー公爵ですね。

絵に対する愛情が、なんかもうオタクとして「わかるわ~」って思っちゃった。

ごめんなさい。不敬かもしれない。

結局の所、絵は絵なのですが、でもひとたび強くて深い思いをそこに抱けばそこに無限の物語が生まれる。

それはもうある種の命、生命を吹き込む行いのようです。

作者であるレンブラントもそこまで考えていなかったんでは!?くらいの情景がそこに誕生してしまう。

愛する者が見つめればそれはもう白いキャンバスに絵の具がのった物質ではないのです。

絵が「ある」のではなく、絵で「いる」ことになるのです。

映画を観ながら、この読書する老女と公爵がいついつまでも末永く幸せに一緒に過ごせますように…なんて祈ってしまいました。

 

いつかまた美術館に行けるようになった時はちょっとまた違った心持ちで鑑賞できそうです。

まぁ私はオタクの妄想族なんで絵の前でいつも好き勝手に遊んでいるんですけども(勝手に台詞考えたりして

もうちょっと知能高めに見てみることにします。

 

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