今回はちょっとオタクにとっての永遠のテーマについて語ってみたいと思います。
ズバリ、アニメ化!映画化!舞台化!実写化!
とかその辺ですね。
あくまで私個人の主観であります。
まず大前提として、この世のエンターテインメントはほぼ全てビジネスなわけですよ。
これは原作の時点からそうです。そうだと思います。
お客がいてナンボ!金を生み出してナンボ!という。
ファンにしてみたら趣味で娯楽であったとしても、打ち出す側、作り出す側にしてみればビジネス、仕事、生活がかかっている。
この世の殆どは誰かの仕事で成り立っている…とかなんとか、缶コーヒーのCMで言ってたな…
わかる。わかるよ。私も勤め人です。
会社の上の人は無茶を言う!取引先は無茶を言う!そして顧客はもっと無茶を言う!
世の中には何を言っても何をやってもあーだこーだ言ってくる人はいます。因みにそれは私もです。
なので仕事をする上では、まぁまぁ難しくはあるけど、強く説得力と納得させる力が必要なんだと思っています。
相手が「なるほど!」と思えばスッキリするわけです。
わけですが、わけなんですがここの「相手」って一人や二人じゃないんですよね!
組織と組織だから!
言ってて悲しくなった。
本題に戻りましょう。
なんかぐだぐだ喋っていて面倒くさいなって来ました。
もう本音言いますね。
○○化される時点で改変されるのは仕方ない、というか当然のことだと思います。
オリジナルはたった一つしかないわけです。
アニメ化にせよ舞台化にせよ実写映画化にせよ、オリジナルたる原作があろうがそのアニメや舞台や映画を作るのは別の人間です。
そりゃもう「違うもの」が出来上がって当然なのですよ。だって作ってる人が違うんですもの。
さらに○○化にあたり「客層拡大」の為のあれやこれやは外せません。寧ろこれこそが絶対。
新規顧客開拓だとか、若い役者を売り出すのが狙いだとか。
私も歳を取ったものですわ。あ~そういうのあるよね~そういうもんだよね~って思っちゃう。
で~も~さ~!それで色々変わっちゃうのモヤモヤするんじゃ~~~~~い!
いや、あのね、原作オタクの超ワガママだっていうの、分かってるの。
大好きな原作がアニメ化した!舞台化した!映画化した!
最初は結構嬉しい!最初から嬉しくない事もあるけど!
でも中身に触れたら「え!?何でそこ変えたの!?そこ重要じゃないの!?うぎゃぁ解釈違い!」とか、そういうのがあってしまう事だってある。
なんかね、もうそういうのを感じた時点で「ああ、私は客じゃない。ターゲットから外れてる」って思うんです。
これは某作品が某化した時にしみじみ思ったことです。
悲しいというか寂しいっていうか、でも上でも言ったように「原作と○○化は同じものではない」んですよ。
であれば「原作の客になれたけど○○化の客にはなれない」なんてことは、何も驚くべき事でも何でもないんです。だって別物ですから。
でもね、やっぱりね、寂しいよね。
だって大好きで大ファンの作品の○○化のファンにもなりたいし客にもなりたいし支持もしたい。
欲張りだなって思うけど、大好きな作品だからメディアミックスとも上手く付き合いたいって思ってしまう。
それ以上に○○化によって長年原作を愛して応援していた私が「客」や「ファン」の枠から弾き出されてしまった事実があまりに残酷過ぎて受け止めきれなくなるのだ。
アニメ化舞台化映画化ドラマ化って時点で「ファン」や「客」の枠はいったんリセットされるようなものだ。
原作のファンだからといってメディアミックス全てを愛する必要ないし支持する事もない。
そうなれることはあるけど、たぶんそれは原作好きの延長である以上にその原作を元に生み出された新しい作品のファンにゼロからなるという事なのかもしれない、とも思う。
その某作品の某化のファンにも客にもなれなかった私はずいぶんヒスったものです。
でもそもそもその某作品ですら私のものではないわけですよ。
「いや~~~~!絶対原作触れてない人いる~~~~!そういう人達にあの作品がああいうものだと思われるのめっちゃいやだ~~~~~~!」
って思っちゃった。思っちゃってヒスった。でもそれは私の超超超超ワガママなのだ。
めんどくさいオタクだなと我ながら思う。
でもですね、その某化の某を楽しんでいる人達に文句つける権利も非難する権利も私にはないわけですよ当たり前ですけど。
私はただの原作ファンですから。偉くもなんともないんですよ。当たり前ですけど。
それはそれとして、某化の某に対して金払った分の意見は良いも悪いも言わせて貰いたい。
でもやっていいのはそこまで。それだって言葉を選ばないとただの言葉の暴力。
よく「推しが人質」って言うじゃないですか。
あれ私も前はそういう考えを持っていたんですけど、今はなんか違うなぁって思った。
いや、だって推しって私のものでもないもんな…たかがファンや客が「人質に取られている立場」になんてなるの?それって何か勘違いしてる所ない?って考えが最近は浮かぶようになった。
私のモットーとしては「文句言うなら金払ってから」があります。
なので「うわぁ…ちょっとこれは…いやでも何かもの申すなら見てからだ…」を実行するようにしています。
あまり言うべきではありませんが私には「課金NG」のアレコレがいくつかあります。
そういう時は本当にお金出しません。そして何も言いません。
気持ちは分からんでもないけど、特に実写映画化ですかね、発表された時点でボロクソに叩く行為は品がないなぁって思ってしまう。
気持ちは分からんでもないけどね。色々言いたくなる気持ちは分かるんだけど、全ては言い方だよね。
事実を述べているだけでも人をぶん殴りながらだったり石を投げつけながら言ったのでは誰も聞き入れられるわけがない。
人が持つ過剰な被害者意識と過剰な攻撃性ってね、怖いよね本当に。
さっき私が上でヒスった云々もこれに当て嵌まる。うわぁ…
因みに被害者意識の強さと攻撃性の高さって比例するというのはマジでガチなんだというのは私は今でも激痛が走るほどに思い出される経験をしているのでほんとおっかねぇだよ。
私も気を付けよ。これは自戒です。
過剰な被害者意識と推しの威光を自分が主張していい権利と勘違いしてしまうのってマジ危ない。
私も大好きな原作が実写映画化しているという事例が何件かあるんですが、あ~これって何も実写に限らずの事なんですけど、見る前からクソ!見てもクソ!とは言い切れないんですよねぇ。
本当に実際見てみないと分からないってことたくさんある。
何パターンかに分かれるんですけどね
1.原作の良さは越えられないけど上手いこと原作を料理して昇華している…!
2.尺の都合があるからあの辺バッサリするのは仕方ないけど概ね上出来
3.あ~う~んそこ変えるか~でも前後の流れがそれならまぁその方が辻褄合うし…
4.キャストは満点なんだけど~~~~脚本演出どうしてそうなった~~~~!?
5.脚本演出はそこそこなんだけどキャスティング…大人の事情が透けて見え…いや役者に罪はないが…ないよな…?
6.何をどうしたらこうなった!?原作読んだ!?何ヶ所か良い押さえ方してるけどそれにしてもさぁ!
7.金返せ
くらい分かれるんですよね!因みにここに推しが原作がのみならず役者とかが絡んで来たらもっと複雑なことになる。
ツイッター探したら見付かったんで貼っておきます。
推しが作品にいる事と作品そのものへの評価は別っていうのは永遠の課題だと思いますけど感想の種類的には
1.推し最高!物語最高!
2.推し最高に良かったけど物語は普通
3.推しは良かったけど物語は…評判良いの解るが自分には刺さらない
4.推しは良かったけど物語はクソ
5. 推しは普通だったけど物語は神
6.推し…何故そうなった!?物語…普通…
7.推しも物語もイマイチだけど他の役者と幾つかの場面と要素がしぬほど刺さった
8.椅子の座り心地が良かった
9.おそらきれい
我ながら考え方ブレねぇなぁ!そんなにかわんねぇなぁ!
長年オタクやってると色々ありますよね。
…そろそろシメたいけどどうシメようかなぁって今必死に考えています。
ねほぱほを見て「応援できる人がいることはとてつもなく大きな幸福であり、ちょっとした不幸」という言葉は少なくとも私にとっては真実です。
人に限らず作品でもなんでもそうですね。好きってやっぱり一種の執着ですから。
好きなのに!推してるのに!なんか思うようにいかない!ってこと、たくさんあるもん。
うまいこと客になれない哀しみ、ファンという枠から弾き出されてしまったと感じる切なさ。
私はワガママなんで好きになったら報われたいって何処かで思ってしまうんだなぁ。
さらっと流せればいいんですけどね、なかなかそうはいかないですよね。ぴえん。
好きな原作の○○化がクソだったら原作に泥塗られた!って怒り狂いますよね。私は狂う。
でもクソと思っているのは自分の主観でしかないんですよね。
作品の評価はつける側でいくらでも変わりますから。
まぁ決まっちゃったもんは仕方ないんで…っていうと言い方悪いですけど、あとはどのように自分の中で決着つけるか、ですよね。
結局はそれしかないんですよね。
私は、今後上手くできるかどうか分かんないんですけど、もし大好きな原作の○○化が今後もあって「ハァ~~~クソか~~~~!」って思ってるけど言えない場面に出くわしたら全力で原作への愛と素晴らしさを語ることにします!
もし私が今後そういう記事を上げることがあったら「あ~杢燐さん…あ~…」ていう感じに勘ぐって頂ければと思います。
これからもこの杢ログをどうぞよろしくお願いします。
最後まで読んでくれてありがとうございました!