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私が毎月1日にとなえているおまじないの詳細は↑で詳しく説明されています。

 

この「Rabbit Rabbit WhiteRabbit」のおまじないは羽生選手のファンになってからは知りました。

 

気が付いたら私も毎月1日の習慣となっておりました。

 

これを忘れないうちはなんかいろいろ大丈夫だな、という気がする。気がしているだけでじゅうぶん。

 

いつの頃からでしょうね、私はこういう幸運を祈るおまじないをする時でも神社仏閣に行って何かお願いをする時でも七夕の時も「自分のこと」は願わなくなりました。

最後に神社に行ってお願いしたのは「(自分の)誕生日公演の下弦のチケットが取れますように!」だったと思います。

なお、このお願い事は叶いました。マジでありがとうございます。超神席でした。

 

たぶん2016年の世界選手権の後くらいからですね。

羽生選手の怪我が治りますように。元気でいますように。報われますように。

行く神社行く神社でそう願って願って願い続けて来ました。

羽生選手のことを願う絵馬があったら私が書いたものである可能性がゼロではありませんぞ。

 

舞台公演が近付けば舞台の成功を祈りました。

そうそう、山形県米沢市の上杉神社に義伝の成功祈願の絵馬を奉納しましたね。

あれ私です。

 

羽生選手のファンになって、応援するようになって、羽生選手の生き様の一面を見させて頂くようになってから、自分の幸せとか望みを神様にお願いするのは、なんか違うなぁって思うようになったんですよね。

あとは私が大好き『グランギニョル』のフリーダ様のお言葉「幸せであろうと努力しているわ」ですね。

そう、幸せになるには努力が必要。正しい努力がね。努力は正しくないと結実しない。

正しくでも結果が出ない事があるけど。

う、落ち込んで来た…そんな時に思い出すのは不患おじさんが丹翡ちゃんに言った名言を思い出す。

「騙されたことは悔いてもいいが正しくあろうとしたことは決して悔いるな」と。

うーん、私、正しくあろうとしているかな…ちょっとそこはじゃっかんの不安があるな…

 

とはいえ、神様に自分以外の事を願った所でそれで人生恵まれるとかいい事が起きるとか、推しが幸せになるとか思っていません。

私がいくら推しを応援していても神頼みしても推しの幸せは推しがどうにかするしかない。

私は推しに何か出来てるなんて思ってはいないので。

 

それでも神社に行って自分のことを願わずに推しの幸せを願い続けるのは、たぶん自分への戒めなんでしょうね。

「幸せになりたいなら戦え!」みたいな?<ここで流れる紅蓮の弓矢とMoira>

 

推しの幸せは私の幸せなんですけど、それはあくまで一片に過ぎないんですよね。

っていうか自分が幸せじゃないと推しの幸せを幸せって思えないし、もっと病むと推しが推しと思えなくなる。

 

なにかにつけて「誰かの幸せを祈る」って、これも私の中の一種の「感情の校正」なのかもしれないですね。

 

信じられませんが2020年も残り3ヶ月ですね。信じられなくてもこれが現実ですね。まじか~~~

残り3ヶ月はアナ雪2でオラフが言っていた「どうにもならないからどうにかなることだけやってる」を胸に抱いて生きたいと思います。

 

最後になりましたけど巷で噂の『窮鼠はチーズの夢を見る』シリーズを読みました。

一応シリーズ全部読んだのですけどまだ感想をアップするには至らないのでもう少し読み込んだら感想を上げたいと思います。