まさしく「誰も何も見付けられなかった話」であった。
警察は犯人を見付けられず、そして民衆は真実を見付けられず。
「MIU404」第10話。
鳥肌立ちっぱなしだった。
一番恐ろしいと思ったのはどんどん拡散されて行くデマ以上に「果たして自分はそれに騙されずにいられるのか」という事でした。
人間は真実よりも良い事よりも悪い事を信じたいものを信じ込む。
もっと言うならおもしろいものを信じる。
「こうだったらおもしろい」「こうだったら興奮する」
それが真実はどうかはきっとどうでも良い。
一種のエンターテインメント。
捏造した動画を拡散してひとりの人間を貶めようとしている瞬間を何度か見て来た。
私がそれを捏造であると気付けたのはテレビで流された本物の映像を見たからなのですが。
言葉巧みに人の心を侵して虚偽を信じさせようとしている人間達も何人も見て来た。
そしてそれを簡単に信じ込む人間達もたくさん見て来た。
私もそこに入っていないとは言わない。
私も人間で、信じたいものを信じて、おもしろいものに飛びつくから。
私はネットがとても楽しい反面、とても恐ろしい。
「ネットに書いてあるから」というだけでまるでそれが真実のように思えてしまう。
とにかく世が大きく動くと世間は多くの人間の声が大きくなる。
何かあるたびに「デマを拡散しないように」「情報は確認するように」との声が上がるが、砂糖が湯に溶けるがごとくである。
いや、溶けて砂糖の味を残すだけまだ良い。
「それはデマです。こっちが本当の情報です!」と言いつつ、実はデマをデマと言う方がデマでだった、なんて事も何度も見た。
そして「情報は確かめてから拡散しないと」と呟いている人が数分後にあっさりとデマをリツイートしてた、なんて事も何度も見た。
私も例外ではなく、きっと何度もデマを信じ込んでいる。
たぶん誰も彼も「真実を見極めないといけない」とは頭では分かっているのだ。
分かっているけど出来ない。何故ならそうそう簡単に見付からないのが「真実」なんだろう。
人間は根本的に「考える」と「判断」が苦手なんだそうな。脳みそめっちゃ使うので。
何も現代に限ったことではなく「真実」を知り得るのは難しい。けれど思い込むのは簡単。
楽なので。その方が。
そして何より「人が知り得ない真実を自分は知っている」という優越感は極上の快楽に等しい。きっとね。
デマを拡散する人がだいたい言うことが「みなさんに真実を知って欲しい」みたいな事なんですよね。
この時思うんですよ。みんな間違ったことを信じている!本当のことは別にある!みんなを救わないと!みたいなことを。
これはデマに限らず誹謗中傷についてもそうだと思う。劇中でもあった「みんな誰かを裁きたい」という感情。
「存在している真実」であっても、誰も見付けられないなら「存在しない真実」だ。
逆に「現実には存在していない=虚構」でも多くの人間が見付け、声を上げれば「存在しているもの」にすり替わる。
…ここまで書いてみたものの、結局どうするのが良いのかよく分からない。
とりあえず私のモットーは「なんかディープそうなものには触れない」である。
考えることはあってもそうそう簡単にネットには書き込まないようにしています。怖いので。
今こそこの言葉を思い出そうと思う。
半年ROMれ
いや、私の場合は半生ROMるべきかもしれない。
などと言いつつ今日もブログを更新するのでありました。
これから『残穢』と『アナベル 死霊館の人形』を見ます。