今日のブログはファンレター風にやってみようと思います。
尊敬する羽生結弦様へ
いかがお過ごしでしょうか。
いつもいつも貴方様の健康と幸せを願っている私ですが、今年は特に特に強く願っております。
けれど賢い貴方様のことでしょうから、どのような状況であっても最高にして最良の時間の使い方をなさっている事と思います。
私もあれが出来ないこれが出来ないなどとふて腐れている日々もありましたが
「いや、できない事ばかり考えていても仕方ない。今できることややれることを考えよう」と思い立ち、
「いつかやろうリスト」に入っていたものを少しずつこなしております。
今年も24時間テレビへのご出演、まことにありがとうございます。
「羽生結弦に何落ち?」と問われれば声高らかに「2014年の24時間テレビ落ち!」と答えます。
それについては以前ご質問頂いた時に長々と答えさせて頂いたことがあります。
羽生選手に関する質問を貰える時はいつでも嬉しいものですね。
あの時の衝撃は今でも覚えております。それこそ昨日のことのように覚えておりますとも。ええ。はい。
思い浮かべると涙が滲みます。
毎年思うことですが、24時間テレビの全てを肯定できるかと言ったら私には出来ません。
考え始めたらキリがない、疑い始めたらキリがない、そう思います。
それでも私が羽生選手を知れたのはあの番組のおかげなのは間違いない事実。
私が羽生選手のことを語り始める為には欠かせない存在ではあります。
羽生選手のファンになって、色々と変わったことがあります。
それは「自分にとって価値がないもの、苦手なもの、嫌いなものでも、誰かにとっては必要な価値あるあものかもしれない」という考えを持ったことです。
あの2014年の運命の出会いより以前は私は24時間テレビが嫌いでした。
正直言うと今でも嫌いかもしれません。好き、とは言い切れない。
でも私は2014年の24時間テレビの羽生選手を偶然見て人生を救われました。
色んなものが変わりました。世の中何があるか分かりませんよね。
まさか、まさか24時間テレビに、しかもそれまで苦手だったスポーツに関わる人に。
2013年の自分に言っても絶対に信じないと思います。
「スポーツ選手の大ファンになってるよ!」なんて。
自分にとっては不要なものでも、何処かの誰かにとっては必要なものかもしれない。
何処かの誰かが「こういうものに出会いたかった」と思うものかもしれない。
それが気付きで、救いで、勇気になって、元気になって、背中を押すものかもしれない。
私にとってのあの日に見た羽生選手がそうだったように。
世界にはそういったものがたくさんあるのだということ、そういうことを私は知りました。
個人の天秤でそれをはかることは絶対に出来ない。
大変に自分勝手な考え方ではあると思いますが、今年の羽生選手の出演が何処かの誰かの「何かのきっかけ」になりますよう、願ってやみません。
そして羽生選手御自身にとっても、大きく良き実りがあるお時間となりますように。
心身ともにご健康でお過ごし下さい。