こんばんは。

私の拙いブログを読んでくださる皆さん、

ありがとうございます。


震災から10年。


私が地震後初めて実家に帰ったのは、

5月の連休でした。


夫は連休より前に、被災のひどいところに

ボランティアで行っていたので、

話を聞くことはできていました。


私の実家はその頃には、

水道も復旧し、日常をとりもどしていました。

崩れた屋根の修理も終わり、

屋根は継ぎ接ぎ模様になっていました。

お墓の石は、ずれたまま倒れ、

後回しになっていました。


車での帰省になりましたが、

近づくにつれ、道路がひび割れたり、

路肩が崩れたり、

地震の爪痕をかんじました。


離れているから、何もできないもどかしさもあり、

実家に祖母のための紙おむつなどを送りました。


育児サークルで呼びかけて、

絵本や粉ミルク、紙おむつ、防寒着なども、

被災地支援として送りました。


どれだけ役にたつかわからないと思いながらも、

何もしないではいられませんでした。


実家は、敷地内の作業小屋や、

外トイレに亀裂が入って、傾いていますが、

崩れてはいませんでした。(今も傾いたままあります)


庭の灯籠が倒れて撤去され、

祖父が手入れしていた植木の庭は、

液状化で水浸しになっていました。





私たちは、以前住んでいた

津波のきた町にいきました。


瓦礫が集められた山が点在していたし、

かつての面影はなく、

面影どころか、何もかもなく、

なんとも言えない気持ちになりました。


その町には今もシンボルとなっている、

津波で流されなかった建物が残り、

そこには、ゴールデンウイークということもあり、

多くの人が、集まって眺めていました。


だだっ広い土地に、

ただ空洞となった建物だけが、

建っていました。


車を停め、私も降りようとしましたが、

車から降りた途端、吐き気と頭痛に襲われ、

立っていることができませんでした。


私はすぐ車に戻りました。

一緒に行った、弟も


「頭が痛すぎる」といい、

戻ってきました。


弟は、カメラで撮影する沢山の人を見て、私に


「○さん(私の夫)に、絶対に写真撮るなと伝えて」と言いました。


夫は、カメラで撮影する様子は全くなかったですが、

弟の忠告は正しいと、後日感じました。


実家に戻る頃には、

気分は随分よくなりましたが、

被災地の実態は、体調が悪くなるほど、悲惨でした。


私の家族にとって、

その街は楽しい場所、思い出の場所でした。


実際に生活の場所だった多くの人にとって、

言葉では表しきれない気持ちが

おさまりどころのない気持ちが


想像すら及ばないだろうことに

後ろめたさを感じました。


おつきあいいただき、ありがとうございました。