こんばんは。
3連休の最終日の夜。
大雪の3日間、
3連休の最終日の夜。
大雪の3日間、
通勤せずに済んだことに感謝しながらも、
連休明けの出勤の過酷さを思い、ブルーに。
だって、降り続けた3日間の雪。
駐車場は多分、進めないほど積もっているだろう。
連休明けの出勤の過酷さを思い、ブルーに。
だって、降り続けた3日間の雪。
駐車場は多分、進めないほど積もっているだろう。
職場の駐車場は広大だ。
職員駐車場にたどり着くまで、
かなり距離がある。
まさか、田舎から出たくて仕方なかった私が、
地元よりも雪の多い地域(今年は特別だけとど)に
暮らすことになろうとは思わなかった。
息子に、
「こんな雪の多いところ、
大人になったら出たいと
思ったりする?」
そう聞いてみた。
「思わないよ、好きだから。」
と言う。娘も、この町からでたいと思わないらしい。
私は中高時代、いかに円満に実家から離れるか、
そのためには、進学するしかない、
そう思っていた。
トイレは家の外にあるし
2時間も電車に乗らなければ、
ほしい本も手に入らず、
可愛いい服も買えない。
校則で、ラインの入ったヘルメットを被り、
自転車で通学し、どこに行くにも学校の運動着。
そんな生活は嫌だった。
近所の人が皆、小さい頃から事細かに
お互いの家族のことを知っているような
そんな地域が嫌だった。
お年寄りの茶飲み話は、
お嫁さんや、お姑さんの悪口ばかり。
そう思っていた。
今思えば、そればかりではないけど、
震災では、集落で助け合い過ごした、
思いやりと生きる知恵を持った集落だったけど、
当時は、そう思っていた。
地元の役場なんかに勤めるもんか、
農協なんかに勤めるもんか、
先生なんかになるもんか、と。
(生意気だよね、若気の至りと許してください)
欲しいものもたくさんあったし、
田舎では知れない世界をみてみたかった。
頑張れば豊かになると、
給料はどんどん上がったと
両親から聞いていたし、
ピアノも買ってもらった。
だから、私は田舎を出るために勉強したし、
それ以外に田舎を出る方法はなかった。
父が納得するような大学でないと
進学させてもらえないと思っていたし、
モチベーションは強かった。
結局、山一証券や、地銀がどんどん潰れるような、
そんな氷河期の就職で、
頑張れば報われる、
そんな成長期の社会ではなかったけど、
今は、それなりには幸せ。
息子は、家を出たくないというし、
海外にも行きたくないと言うし、
目標も、夢も欲しいものもないらしい。
私はバックパッカーで
世界を旅する友達が結構いて、
バックパッカーは無理でも、
海外の文化に触れたいと思って憧れていた。
今に満足し、このままこの地で、
なんて言っている子供たちを
息子は恵まれているんだな、
贅沢で豊かな生活をしているからだ、と感じる。
私の両親を含め、上の世代が
私たちの世代を恵まれている、という。
三種の神器と言われた家電は、
ほとんどの家庭で標準装備でしょ?
実家にはクーラーがなかったけど、
我が家にはクーラーもあるし、
実家にはなかったシャワーもあるし。
実家にあったピアノはないけど。
地方でも、瞬時に世界のニュースや
文化を感じることができるし、
地方では、コンサートはなかなか開かれなくても、
ライブの映像は簡単に手に入るし、
オンラインサロンで有名人とも繋がれたりする。
物理的に豊かさを手に入れている今、
息子の世代は、イヤ息子は、
努力するモチベーションを保つのは
難しいのかもしれない。
今の子供たちがモチベーションを保つには、
心がポイント。
人に喜ばれる幸せ、
世の中に貢献する幸せ。
崇高な志しがないところには、
モチベーションは生まれないのではないだろうか。
私は、中高生時代、心のレベルで
崇高な志しなんて立派なものはなかった。
モチベーションを保っていたわけではなくて、
田舎をでたい、
豊かになりたい、文化に触れたい、
そんな、物欲的なモチベーションだった気がする。
今でこそ、生きているなら
人の役に立ちたいと思うけど、
若いときは違ったと思う。
ハングリー精神といえばカッコいいけど、
ただの物欲。
努力のためのモチベーションは簡単に上げられた。
世の中全体の生活レベルが底上げされ、
(見えない貧困、子供の貧困があるのは理解してます)
一人一台スマホをもつような時代。
私の時代より、努力するモチベーションを
育てるというのは、
ハードルが高いことなのかなあ、
そう考えた、雪の日でした。
おつきあいいただき、ありがとうございます。
