
『この人生は自分で選んだ道だもの…』
自分で選んだ道だもの
そう思えば、人生に
言い訳なんてしたくならない。
今の彼氏を選んだのも、
結婚したのも、
離婚したのも、
子供を産んだのも、
子供を産まない人生を選んだのも、
今の仕事を選んだのも、
仕事をやめたのも、
全部全部自分で選んだ道だもの。
しかたなくて選ばされた、と
言いたくなるかもしれないけど、
それを許したのも自分だものね?
結局そうやって自分で考えて、
自分で選んで、
自分の人生の責任を取っていく。
これが主体的に生きている、
ということ。
主体的に生き続けた時に
身につく強さは、その後生きていくのに
とても強力な処世術になります。
だからどんな無駄なこともない。
いや、例え、他人から見て無駄だと
言われるようなことがあったとしても、
自分で価値ある宝に意味づけて、
それを知恵にして生きていけばいいだけ。
見える世界を創っているのは、
やっぱり自分で、そしてその世界が
天国となるか地獄となるかは
ただの自分の意味づけ次第。
むりやりポジティブな
意味付けをしなくてもいいけど、
無駄に落ち込むような
ネガティブな意味付をしても
進歩も成長もなく、
その後のやる気までもが
そがれてしまうから、
自分にとって良い意味付けがあると、
それは机上の空論ではなく、
リアルな知恵として今後
生かされていきます。
それは自分にとって
活かされるだけでなくて、
我が子、友達、はたまた仕事上の人にも
あなたの関係する人に
活かされていく可能性があります。
あなたが1人が生きる知恵を得ると、
あなたの普段色濃く関係する人々が
10人いたとしたら、
その10人に良い影響があり、
その知恵を、みんなで共有できます。
それだけでなく、
あなたが発信者となれば、
それを読む人々にさらに影響があって、
あなたが人生で学んだことは
多くの人にとっても知識となり、
適用した人がこれまた知恵となる。
なんとこの良い循環・・・
自分で選んだ道だもの
自分で選んだ道だから
精一杯、力いっぱい生きる
さて、いい意味でのあきらめは
一つ成長する要素となります。
求めるだけが人生ではなくて、
あきらめること、手放すこと、
そして人世の流れに身を委ねることも
大きな学びとなることがあります。
そんな経験はありますか?
手放すことで人生が周りだすような
そんな経験が一回か二回は
あるかもしれませんね。
ではまた明日。
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