「ふだんの哲学」今日は〈人生〉苦労について~「へこみ」は「うつわ」 | カサンドラ専門セラピーコーチング〜自分らしく生きるヒント〜

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こんにちは

トータルメンタルサポート

ラポール・ラボの

ジュンコ田中ですニコニコ

 

 

今日も私の大好きな「働き方の哲学」

著者:村山昇先生の

サイトをシェアさせていただきます。

 

 

村山先生は

14歳から大人まで 

生きることの根っこをかんがえる〜

というコンセプトでわかりやすい

どなたでも読める哲学の読み物を

無料で公開してくださっています。

『ふだんの哲学』

 

 

1.自己・2.成長・3.価値・4.人の間・5.人生

という構成になっていて

 

  今日は、第5章〈人生〉#07 

苦労

~「へこみ」は「うつわ」

をご紹介します。ウインク

 

 

**********************

 

〈じっと考える材料〉

 

荒野のまんなかに

大きな岩があった。

 

 

 

その岩は、

日々、

砂まじりの強い風によって

表面をけずられる。

 

 

 

いつしか、

岩の一部に

くぼみのようなものができた。

 

 

 

ある日、

めずらしく雨が降った。

 

 

 

岩のくぼみに

水がたまった。

 

 

 

するとそこに

昆虫や鳥などが

集まってきた。

 

 

 

それぞれは

水浴びをし、

羽を休めた。

 

 

 

その小さな水の鏡は

広大な空を映しだしていた。

 

 

 

 

 

打ちのめされたり、

傷ついたり、

落ち込んだりした状態を、

俗に「凹(へこ)む」という。

 

 

 

でも考えてみるに、

凹んだ部分は器になる。

その器で

なにかをすくうことも、

なにかを受けいれることもできる。

 

 

 

釈尊(おしゃかさま)や

イエス(キリスト)の教えが、

なぜ千年単位の時空を超えて

人びとの心を

抱擁(ほうよう)するのだろう。

 

 

 

それは彼らが

偉大な苦しみのなかに

身を置き、

光を発したからだ。

 

 

 

ガンジーキング牧師の言葉が、

なぜ力をもって

民衆の胸に入り込み、

民衆を

立ち上がらせたのだろう。

 

 

 

それは

彼らが深い深い闇の底から

叫んだからだ。

 

 

 

ドストエフスキー

狂気的なまでに

善と悪について

書けたのはなぜだろう。

 

 

 

それは彼が

あるときは流刑の身となり、

兵士となり、

またあるときは

てんかんをわずらい、

あるときは

賭博(とばく)に

明け暮れるという、

まさに狂気の淵(ふち)で

ものを考えたからだ。

 

 

 

正岡子規

あれほど鋭く

堅牢(けんろう)な

写実の詩を詠めたのは

なぜだろう。

 

 

 

それは病苦に悶絶(もんぜつ)し、

命の火も絶え絶えになるなかにあって、

魂で触れることのできる

堅いなにかを欲したからだ。

 

 

 

 

 

 

 

東山魁夷はこう書いた───
 

「最も深い悲しみを担う者のみが、
人々の悲しみを受け入れ

慰めてくれるのであろうか」。 


(『泉に聴く』より)

 

 

 

ヒルティ

『幸福論』のなかでこう記す───
 

 

「ある新興宗教の創始者が、

自分の教義の体系を詳しく述べて、

これをもって

キリスト教にかえたいというので、

彼(タレーラン侯)の賛成をもとめた。

 

 

すると、タレーランはこう言った。

 

 

しごく結構であるが、新しい教義が

徹底的な成功をおさめるには

なお一事が欠けているようだ、

『キリスト教の創始者は

その教えのために

十字架についたが、

あなたもぜひそうなさるように

おすすめする』と」。

 

 

 

人は、

苦しんだ深さの分だけ

喜びを感受できる。

 

 

 

また、

ほんとうに悲しんだ人は、

ほんとうに悲しんでいる人と、

ほんとうの明るさを共有できる。

 

 

 

生きることの

分厚さや豊かさといったものは、

苦や悲といった

ネガティブな状態に

えぐられることによって

獲得できる。

 

 

 

宗教が

慈悲や愛を基底にしているのは

このことと無関係ではない。

 

 

 

いずれにせよ、

すべての人は

負(マイナス)を

正(プラス)に転換できる力を

もっている。

 

 

 

おおいに悩み、

おおいに迷うことは、

自分のなかの

凹みという器を

大きくしている過程である

ともいえる。

 

 

 

その器は、

やがてあなたの

となって表れる。

 

 

 

[文:村山 昇/イラスト:サカイシヤスシ]

 

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いかがでしたか?

ジュンコ田中ですニコニコ

 

 

凹んでしまった→凹んでいて嫌だな・・マイナス

凹んでしまった→器になる!・・プラス

発想の転換ですね照れ

 

 

 

今日も質問です。

 

「あなたは凹んだ経験はありますか?」

 

「あなたがそれを

どんなプラスに変換しますか?」

 

 

 

 

そんなトークがみんなとできたら

いいなって思っています。照れ

 

 

 

 あなたは『哲学』に

興味はありますか?おねがい

 

 

 

ではまた

ジュンコ田中でしたウインク