「ふだんの哲学」《価値》「美しい」~外の美・内の美・内から外への美 | カサンドラ専門セラピーコーチング〜自分らしく生きるヒント〜

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こんにちは

トータルメンタルサポート

ラポール・ラボの

ジュンコ田中ですニコニコ

 

 

今日も私の大好きな「働き方の哲学」

著者:村山昇先生の

サイトをシェアさせていただきます。

 

 

村山先生は

14歳から大人まで 

生きることの根っこをかんがえる〜

というコンセプトでわかりやすい

どなたでも読める哲学の読み物を

無料で公開してくださっています。

『ふだんの哲学』

 

 

1.自己・2.成長・3.価値・4.人の間・5.人生

という構成になっていて

 

  今日は、3.価値

「美しい」について[4] 

~外の美・内の美・内から外への美

をご紹介します。ウインク

 

 

**********************

 

〈じっと考える材料〉

 

玲子:


ああ、MIKAKOって

やっぱりきれいな

顔だちだなぁ。

 

わたし、

大人になったら

整形手術しようと思ってるの。

 

 

目を二重まぶたにして、

鼻すじもすっと通す。

 

 

人生変わるだろうな。

 

少なくとも、

毎朝自分の顔を

鏡で見るときの

劣等感にはさよならね。

 

 

夏穂:


わたしは整形手術には

抵抗があるな。

 

そこまでしなくても、

って感じ。

 

 

玲子:


それは夏穂が

顔に劣等感がないからよ。

 

ちょっとした整形であれば、

それはお化粧したり、

かつらをつけたりすることと

たいした違いはないわ。

 

歯並びをよくする

矯正だって整形のうちよ。

 

 

翔太:


いくら見た目を整えても、

玲子のそのきつめの性格を

どうにかしないと

男子にはモテないと思うぜ。

 

やっぱり大事なのは

内面じゃないの。

 

 

夏穂:


整形について

親はどう思うかしら?

 

 

玲子:


整形でちょっと

目や鼻をいじるだけで、

わたしは自分の顔に

自信が持てる。

 

そして毎日が

ウキウキできる。

 

それこそ

わたしの内面が変わって、

明るく変われるときよ。

 

 

親だって、

劣等感でふさぎこんでる娘を見るより、

そっちの明るい娘を見るほうが

うれしいにちがいないわ。

 

 

夏穂:


玲子は

自分の顔のことを

悪く思いすぎ。

 

 

たとえば、

あなたが写真部の活動で

何かを真剣に撮ってるときの顔は

とても素敵よ。

 

 

翔太:


ぼくも母親によく言われる。

あんたはサッカーしてるときが

一番いい顔だって。

 

 

玲子:


そうやって素のままでいいよ

って言ってくれる人がいれば

いいけどさ……

 

 

 

□ 将来、整形を施したい

という玲子に対し、

あなたならどんなことを

助言してあげますか?

 

 

 

 

 

見た目を

かっこよくしたい。

 

 

その欲求は

まったく自然のものです。

 

 

その欲求が

人間にあるからこそ、

この世界は装飾やデザインにあふれ、

視覚的に豊かに

なっているといえます。

 

また、あなたたちはいま、

いろいろなものを見て、

それにあこがれて、

それをまねたいという

気持ちが強い年代です。

 

 

「まねる」とは

「まなぶ=学ぶ」

という言葉ともつながっていて、

成長には欠かせない要素です。

 

 

ですから、

玲子がモデルの

きれいさを追いかけ、

自分も同じようになりたい

と思うのは悪いことでも

なんでもありません。

 

 

ただ、

それは「美を求める心」

第1段階であることを

理解する必要があります。

 

 

きょうは、

その「美を求める心」

3段階に分けて

説明しましょう。

 

 

3段階とは───

 

 

第1段階が

 

「かっこいいものを持ちたい」

 


第2段階は

 

「美しく生きていきたい」


そして

第3段階が

 

「身の回りの環境を美しくしよう」

 

 

 

という心の成長です。

 

 

人はまず、

ものごとの外面のきれいさ、

かっこよさに目をひかれます。

 

 

色彩的にきれいなもの、

形状的にかっこいいもの、

装飾的に見栄えのするもの

などをめでるとともに、

それらを物として所有したい

と思います。

 

 

それらを手に入れ、

自分の一部にしてしまうことで、

自分もかっこよくなれる

と思うからです。

 

 

そういった意味で、

この第1段階にいる人間が

強く持っているのは

「外面的な美を所有する心」

です。

 

 

ところが美は、

これまで考えてきたように、

目に見えやすい

外面的な美だけでなく、

目に見えにくい

内奥的な美もあります。

 

 

ここで、

彫刻家の巨人

オーギュスト・ロダンの

言葉を紹介しましょう。

 

 

 

「美は性格のなかにあるのです。

情熱のなかにあるのです。

美は性格があるからこそ、

もしくは

情熱が裏から見えてくるからこそ

存在するのです。

肉体は情熱が姿をやどす

型(かた)です」


「内面からの肉づけがないなら、

輪郭は脂(あぶら)を持てない。

しなやかにならない。

堅い陰(かげ)で乾(ひ)からびる」


「われわれが輪郭線を写し出すときは、

内に包まれている精神的内容で

それを豊富にするのです」


「一切の生は一つの中心から
わき起こる。

やがて芽ぐみそして

内から外へと咲き開く。

同じように、

美しい彫刻には、いつでも一つの

強い内の衝動を感じる」。



───『ロダンの言葉』

(高村光太郎訳) 

*一部現代的かなづかいに変換 

 

少し

むずかしい表現に

なっていますが、

とても大事なことを

ふくんでいるので、

繰り返し読んで

味わってください。

 

 

 

美に透徹した

ロダンがここで言っているのは、

ほんとうの美は

内側からの精神

情熱や性格、衝動とも言っている)

のわき出しにある。

 

 

外側の肉体

輪郭とも書いている)

はそれを受け止めるである、

 

 

ということです。

 

そのためロダンは

弟子たちに、

彫刻は外側だけを

とりつくろって形を

出そうとするな。

 

 

内面からの

精神のわき出しを

心の目で見よ、

それを表現せよ

と教えたのです。

 

 

 

 

 

 

彫刻家と同じように、

わたしたちも

成長するにしたがって、

ものごとの内側から出てくる

強さや輝きを

感じとれるようになります。

 

 

ものごとをじっと見つめ、

その内側に健康的な躍動や

精神的な充実などを見出すと、

「あぁ、美しいな」

となります。

 

 

これが第2段階への入り口です。

 

 

この段階に入ってきた人は、

美しさのほんとうの

出所(でどころ)は

ものごとの中身であると

確信します。

 

 

ですから、

自分自身においても

中身を大事にしようと

思いはじめます。

 

 

自分が献身的に

没頭できるなにかを見つけて、

自分の中身・人生の内容を

充実させようとします。

 

 

第2段階で強まってくるのは、

そんな「内奥的な美に生きる心」です。

 

 

ロダンが書いたように、

ほんとうの美は

内から外へ咲き開く。

 

 

ところが、

内側だけ美しいというのは

いまだ完全な姿では

ありません。

 

 

中身の充実が

外に表れてこそ

完成します。

 

 

内奥的な美に生きる人は、

やがて、

内に持つ精神

(情熱、性格、衝動など)

と調和する形で

外にあるものを

変えていこうとします。

 

 

外にあるものとは、

自分の身体や持ち物、

自分が過ごす空間です。

 

 

これらは広く

「環境」

と言っていいでしょう。

 

 

つまり

「環境的な美を求める心」

が強く出てくるのが

第3段階です。

 

 

 

千利休を

例にあげてみましょう。

 

 

千利休は茶道の大家で、

「わび茶」といわれる分野を

完成させたことで知られます。

 

 

「わび茶」とは

その名のとおり、

「わび(侘び)」の精神を、

茶を点(た)てる作法として

表わすことです。

 

 

「わび」の精神とは、

自然のままの不揃いの状態、

不完全な状態、

簡素な状態のなかに

悟りを得ようとする意識です。

 

 

そういう

精神性に美を見出す千利休は、

当然、

自分の環境も

「わび」させていくのが美しいと

確信していました。

 

 

そのため、

質素な身なりをし、

林のなかにとけ込む

小さな茶室を設けます。

 

 

ごつごつしただけの器を使い、

木枝を削って茶さじを作り、

庭で取った草木を

竹の筒に生ける。

 

 

千利休は内から外へ、

「わび」という美を

一貫させていったわけです。

 

 

 

 

 

そのように

第2段階で

内奥の美を

しっかりとらえる人は、

外側にある環境も

それに応じて

美しくしたいと思います。

 

 

これが

第3段階の美を

求める心です。

 

 

「外側の美」

こだわるという点では、

第1段階も

第3段階も同じです。

 

 

しかし

本質的には

大きくちがいます。

 

 

 

第1段階の

心が欲しているのは、

かっこいいものを

所有することです。

 

 

かっこいいとは

見た目がいいねとか、

デザインがウキウキするね、

すごくかわいいね、

買いたいな、

持ちたいな、

というふうに

感情を高揚させる

視覚的な刺激です。

 

 

しかし、

かっこいいものは、

往々にして、

すぐに飽きがきます。

 

 

流行や他人の影響を

受けることが大きく、

自分の内面の奥深いところと

つながっていないがために

長続きしません。

 

 

それに対し、

第3段階の心が求めるのは、

自分が一番落ち着ける環境です。

 

 

ここで言う“落ち着く”とは、

自分の精神が

「こうありたい」

と目指す状態と、

身の回りのものの状態が

調和していて、

心身ともに平安なこと

をいいます。

 

 

そこで求める美は、

必ずしも流行を

追ったものではなく、

それを所有しなければ

気がすまない

といったことでも

なくなります。

 

 

 

あくまで、

自分が内面で

大切にしていることが

まずあり、

それに合わせるように、

持ち物は

こういう様子のものがいいな、

身なりは

こんな感じにしていこう、

毎日過ごす部屋は

こういうふうに変えていこう

となります。

 

 

それはつまり

自分なりの美しさを

外側へ創造することであり、

内側の意志とつながっています。

 

 

 

* * * * *

 

 

さて、

設問に移りましょう。

 

 

玲子は将来、

整形手術をして顔を変えたい

と言っています。

 

 

玲子はいま

思春期の女の子で、

きれいさにあこがれたり、

自分の容姿にコンプレックスを持ったり、

夢を想像したり、

ともかく頭や心が

あちこちに激しく動く年ごろです。

 

 

みな、

そういう時期を経て、

精神的に大人へと

向かっていくものですから、

いま頭や心にわいてくることを

無理やり押さえ込むことはありません。

 

 

おおいにあこがれ、

おおいに想像を

ふくらませればよいでしょう。

 

 

そのなかで、

「整形したい」

という気持ちについては

答えを急ぐのではなく、

少し時間を置いてみましょう。

 

 

つまり、

じゅうぶん成人になったとき、

再び考えてみることに

したらどうでしょう。

 


 

 

 

 

 

というのも、

玲子はいま

「美を求める心」

の第1段階に

入ったばかりです。

 

 

世の中にある

かっこいいものに

いろいろ魅了される

まっさかりです。

 

 

そして

自分もそれを持ちたいと思う。

 

 

それを持つことによって

自分もかっこよくなれると思う。

 

 

自分の容姿に自信がないので、

なおさらそう思うわけです。

 

 

だから玲子は、

ある種、

熱病のなかで

「わたしもきれいになりたい。

人から注目されたい」

という欲求に

とらわれている状態です。

 

 

若いころの

そういう熱病的な欲求は、

ときに夢や志に発展していくので、

あっていいものです。

 

 

しかし、

玲子の欲求は

少し注意が必要なのです。

 

 

なぜでしょう───。

 

 

 

たとえば

「ぼくは将来、

プロサッカー選手になりたい!」

という

少年の熱病的欲求と、

玲子のそれとはどこが違うか

考えてみましょう。

 

 

プロサッカー選手になるためには、

長い時間をかけて

能力を鍛えていく

努力が必要になります。

 

 

その過程には、

失敗も成功も、

運も不運もあるでしょう。

 

 

それを乗り越えていく

精神力も欠かせません。

 

 

ところが、

玲子の望みである整形は、

手術代さえ用意すれば

数時間でそれが

手に入ってしまうのです。

 

 

 

少年は鍛えた

能力や精神力を

自分の内面に

残すことができます。

 

 

たとえプロ選手に

なれなかったとしても、

それらは

その後の人生で

おおいに自分を

助けてくれるでしょう。

 

 

 

けれど、

整形で手に入れる

かっこいい二重まぶたや鼻すじは、

いわば部品を買って

表面に付けるものであり、

内面に蓄積されるものではありません。

 

 

 

玲子は

それによって自信がつき

明るくなれると言います。

 

 

たしかに一時的には

気分が高まるかもしれません。

 

 

しかし、

さらに歳をとってくると、

今度はくちびるが気に入らないとか、

シワが出てきたから

シワをなくしたいとか、

そんなようなことで

また自分の外見に

がまんができないことに

ならないでしょうか。

 

 

結局それは、

永遠に見た目に支配される

生き方になりはしないでしょうか。

 

 

見た目はどうでもいい

という問題ではありません。

 

 

見た目をよくする

努力は必要です。

 

 

ただ、

「内奥の美」を知ったうえでの

見た目をどうするかと、

「内奥の美」を知らずに

外見だけどうするか

ではまったく異なるのです。

 

 

そういった意味で、

玲子はこの先、

いろいろに見聞をして、

経験を重ねて、

「美を求める心」

の第2段階に

入っていくことです。

 

 

中身の充実から

外へ咲き出す美が

どういうものかが

わかってくると、

考え方も

変わってくるでしょう。

 

 

いや、

そのときに、やはり

「整形をしたい」

ということに

なるかもしれません。

 

 

それはそれでいいのです。

 

 

おそらく、

自分の内側に

なにか固い思いが

あるのでしょう。

 

 

少なくとも、

いまのように

あこがれ気分だけで

言っているのとは

ちがう次元から

出た答えのはずです。

 

 

人の美しさとは

どういうものであるか。

 

 

あるいは、

人を美しくさせる

ものはなにか。

 

 

この問いに

どんな答えを持つかは、

自分が

「美を求める心」

の第1段階の住人なのか、

それとも

第2段階、

第3段階の住人なのかで

まったくちがってくるものです。

 

 

 

[文:村山 昇|イラスト:サカイシヤスシ]

 

 

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 ジュンコ田中ですニコニコ

いかがでしたか?

 

 

今日も質問です。

 

 

あなたの日を求める心はどの段階ですか?

 

第1段階「かっこいいものを持ちたい」?
第2段階「美しく生きていきたい」?

第3段階「身の回りの環境を美しくしよう」?

 

 

 

そんなトークがみんなとできたら

いいなって思っています。照れ

 

 

 

 あなたは『哲学』に

興味はありますか?おねがい

 

 

 

ではまた

ジュンコ田中でしたウインク