こんばんは。
グラスアトリエHAKUです。
ブログにご訪問いただきありがとうございます。


私の母、73歳は、今日は何処へ…。

なんて書くと、地域の防災放送で流れる高齢者の行方不明者みたい。(笑


ブログをお読みくださっている方はご存知の通り、母はアマチュア写真愛好家で、全国寝袋とカメラ片手に飛び回っているトルネードばあちゃんです。


先週の火曜日から奈良に撮影旅行に旅立った母。
赤目48滝を撮影しに、山の中を8時間歩いたと連絡があったあと、次に連絡があったのは、琵琶湖。

その次は石川県輪島。

そして今日は新潟。

先ほど電話で、『今晩11時半のフェリーに乗って北海道に帰ることにしたから!』と連絡がありました。

電話口の向こうは、随分風が強く、今は港のフェリー乗り場で乗船受付が開くのを待っているの、と。

『寒いよ〜。』という母。

もう…大丈夫かな。
風邪ひかないといいんだけど。


人に母のことを話すと、誰もがびっくり仰天するほどパワフルな私の母。
最近の口癖は、『私、まだまだ死ぬ気がしない。』。
『ま、ね、あと20年生きるかもしれないし、明日ぽっくり行くかもしれないし、ね!』
思わず笑ってしまうけど、


でもね、私はいつも思ってるよ。
いつも、これが最後かもしれないって。

玄関を出て行く母。
交差点を曲がって見えなくなるまで車窓から手を振ってくれる母。
駅の改札で遠ざかっていく後ろ姿。
空港で搭乗ゲートで姿が見えなくなるまで、立ち尽くしている母。


母が居なくなったあとの家はいつも、
昨日まで元気でいた母の面影があちこちに残っていて、これはまるで、本当にその時が来た時の予行練習みたいだなって思う。


お友達のお母様が、がんで3年の余命宣告をされたと聞いた。
青天の霹靂とはこういうことを言うのだ、と言っていた。

3年という宣告を受けたことは、本人にとっても、家族にとっても、心の準備、身辺整理をするために、逆にとても良かったと友達の母は言っているそうだ。


私は、いつくるか分からないその時を、頭では分かっていてもやっぱり心はついていかないから、いつも冗談ぽく吹き飛ばしてしまう。

今回は、母との別れは電話口でだったから、少し気が紛れている。
『みんなによろしくね!』とだけ、明るく伝言を託される。

子供達もおばあちゃんとの別れは、毎回悲劇のヒロインかぐらい、嗚咽して泣き疲れて眠りにつくほどの酷いものだから、これもきっと母の気遣いなんだろう。


私も母が居なくて喪失感にくれる一週間を、今回は経験せずに済むであろうことを、寂しくもホッとしている、てのも、ちょっと正直な気持ち。


そろそろ乗船できた頃だろうか。
明日の朝は大海原で、朝日を撮っている母の姿が脳裏に浮かぶ。


明日の夕方には小樽港に着く母。
初雪が降ったらしい北海道。

どうぞ無事に家路に着きますように。



最後までお読みいただきありがとうございました。
HAKU