ぼんばんわ。。。。 もうすぐ2才になる 文鳥のオスのすばる君。。。

最近 季節はずれの換羽(とや 羽がぬけかわること)にみまわれて、相談の結果、

スーパー粟玉(卵黄をあえたもの)を与えることになり、娘がせっせと手作りしております

と、フライパンの中の粟玉を狙って 焼き鳥になるところでした。

さて、羽の抜け変わりの時期は体力を消耗するらしく、いつものような元気がありません。

いつも うとうと して、 飛び回ったり、水浴びをしたりすることなく 居眠りばかり。

羽はぼろぼろ抜けていきます。

すばると髪の毛のごみで 掃除機はいっぱいになります。

でも もうすでに 次の羽が生えてるのも見えますから ちょっと 時期早かったけど

生え変わっちゃえば すばるの元気も戻るでしょうね。

そんな すばるは 耳かきでくちばしをなでると気持ちよさそうにうっとりします。

耳かきを持っているのを見たら、耳に突っ込んでいるのを 奪おうとします。

でも、 今日 新月の祈りを書いていると、ボールペンに八つ当たりしたので

ボールペンでくちばしをなでてやったら、 やっぱり うっとりして

丸いのが気持ちいいらしいです。

これで すばるの前でうっかり字を書くことができなくなりました。。。

まったくなあ。。。

 

今日 NHKで 今 有名な ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の 

 究極の選択 「お金で買えるもの買えないもの」 が放映されていた。

 太古の時代に 貨幣制度は 人間が 双方のニーズの交換手段に

 使い始めた 貨幣制度は 今の時代では 人間の命まで お金で

 売買できる時代となってしまったのだ。


 インドでは 代理出産がビジネスとして 成り立ち、アメリカでは消防団に

 お金を積み立てないと 家が燃えていても 消してもらえない。

 これが 本来貨幣制度の目的として 求められていたことなのか?

 貨幣とは 本来 人間のニーズに沿った物々交換のひとつの手法に

 過ぎなかった。

 ところが 産業革命が起きて 世界的な規模で貨幣制度が

 国レベルの貿易の交換手段として 飛躍的な進歩を遂げたころから

 人間は 貨幣によって その価値や身分を決定されるように

 なってきた。

 自由貿易主義とは そういった弊害も生み出している。

 そこには 人間が生きて行く上で 必要としている 痛切な希望を

 どこまで 貨幣に換算して 手に入れることができるかという

 単純で 明快で 切なる希望があった。

 だけど、それが 究極まで めぐってくると 人間の価値を決定する

 人間の価格を決定するという 人がもっている本質から逸脱した現象が

 世界で通用するように なってしまった。


 その為、本質を直感で 知る私たちは 不快感を感じ、疲弊しながら

 その貨幣制度の社会にどっぷりつかるか 

 
 あるいは 本質を回顧し、本質に戻る生き方をしようと 

 様々な精神世界(スピリチュアルなビジョン)を通して 同じ考え方の人々と

 共同体を作って 生きる生活を選択している人達 あるいは 個人での

 ライフスタイルを 確立するようになる。


 どれが 善でどれが悪とは まったく言えない。 

 なぜなら そこに 人としてのニーズが 存在する限り、 止めようがないからだ。


 だが、 どの生き方が 死ぬ瞬間に後悔しない生き方になるか。。。


 人は 究極はこれしかない。

 生まれる瞬間のことは 忘れているので 人は死ぬ瞬間に 

 この人生で 何を学んだのか?

 を自分に問いかけるということだけは

 覚えて 生きていってほしいと 思います。

 


クラムチャウダーとミネストローネ、どっちがいい? ブログネタ:クラムチャウダーとミネストローネ、どっちがいい? 参加中
本文はここから






横浜の大桟橋の手前の道に パン屋の ロータスがあります。 象の鼻公園に行く手前 大桟橋側の シーバスののり口の近く。 紫色のバンが お店。

ここの フランスパンは 冷えても 冷蔵庫から出してそのまんま 食べてもおいしいんですが

(北あかり)という こだわりの小麦粉を使って 天然酵母を使ってるそうだ。。

そのフランスパンを クラムチャウダーにつけて食べるとおいしい。

このお店の自慢の味。 クラムチャウダーが おいしいのだ。。。

また お店の前のベンチで 景色を眺めながら 食べてると そのまんま 仕事を早退して

ぶらぶらと 散歩に出たくなる。。。

今は寒いから インドアの店内で 召し上がれ。。。

たまに 豪華客船も止まるのでござる。。。

コーヒーが また おいしい。。。 

ロータス。。。 とっても 素敵なお店なんですよ。