今日 NHKで 今 有名な ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の
究極の選択 「お金で買えるもの買えないもの」 が放映されていた。
太古の時代に 貨幣制度は 人間が 双方のニーズの交換手段に
使い始めた 貨幣制度は 今の時代では 人間の命まで お金で
売買できる時代となってしまったのだ。
インドでは 代理出産がビジネスとして 成り立ち、アメリカでは消防団に
お金を積み立てないと 家が燃えていても 消してもらえない。
これが 本来貨幣制度の目的として 求められていたことなのか?
貨幣とは 本来 人間のニーズに沿った物々交換のひとつの手法に
過ぎなかった。
ところが 産業革命が起きて 世界的な規模で貨幣制度が
国レベルの貿易の交換手段として 飛躍的な進歩を遂げたころから
人間は 貨幣によって その価値や身分を決定されるように
なってきた。
自由貿易主義とは そういった弊害も生み出している。
そこには 人間が生きて行く上で 必要としている 痛切な希望を
どこまで 貨幣に換算して 手に入れることができるかという
単純で 明快で 切なる希望があった。
だけど、それが 究極まで めぐってくると 人間の価値を決定する
人間の価格を決定するという 人がもっている本質から逸脱した現象が
世界で通用するように なってしまった。
その為、本質を直感で 知る私たちは 不快感を感じ、疲弊しながら
その貨幣制度の社会にどっぷりつかるか
あるいは 本質を回顧し、本質に戻る生き方をしようと
様々な精神世界(スピリチュアルなビジョン)を通して 同じ考え方の人々と
共同体を作って 生きる生活を選択している人達 あるいは 個人での
ライフスタイルを 確立するようになる。
どれが 善でどれが悪とは まったく言えない。
なぜなら そこに 人としてのニーズが 存在する限り、 止めようがないからだ。
だが、 どの生き方が 死ぬ瞬間に後悔しない生き方になるか。。。
人は 究極はこれしかない。
生まれる瞬間のことは 忘れているので 人は死ぬ瞬間に
この人生で 何を学んだのか?
を自分に問いかけるということだけは
覚えて 生きていってほしいと 思います。
