民族学や比較文明学を専門として、活躍した梅棹忠夫。





今回の本は1991年に発行されたものだが、32年たった今読んでも面白い。





「集団物見遊山の文化史」というテーマで、梅棹と民俗学を研究している神崎宣武と対談。





旅の終わりに買う人が多いお土産。




元をたどると、伊勢神宮にしかるべき体裁で参拝すると、御神酒と菊の紋が入った落雁などをいただける。




しかし、江戸時代になると、参拝者が急増して、誰にでも「お宮さんのお下がり」を渡せなくなり、門前に参拝者目当ての商売ができて、そこから土産品が出てくるのではないでしょうかということを神崎は述べている。






みやげは、内容よりも地名をデカデカと大きく扱わないと意味がないので、ダサいデザインになってしまうそうだ。





どうして地名にこだわるのか。それは「タテマエ」だった。




旅をする目的はどんちゃん騒ぎをしたり、お姉ちゃん相手に鼻の下を伸ばしてデレデレすることが多かった。





しかし、タテマエが必要になり、「研修だの視察だのもっともらしい大義名分をつけて出てゆく」と神崎は述べている。




研修をした証明でみやげが必要になるとも述べている。





今の時代、SNSで写真をアップして証明できる。





パリのエッフェル塔の前でダサいポーズをしていた、昭和の香りがプンプンしてきた国会議員のオバサマ方が浮かんできた。





パリには「パリせんべい」も「パリチョコ」も売っていないが、何を「政務活動費」で買ったのか気になるなあ。





「ファッション化された健康」というテーマで神経内科・老年医学を専門にしている塩栄男(しおひでお)と対談。





梅棹が「健康ファッションの一種みたいなものになっているようですが」と問う。





それに対して「健康ということばのイメージそのものが、かつてとずいぶんかわってきています」と、塩は述べている。




健康を考える場合、どうしてもその対極に病気をおくので、その「病気」の範囲がどんどん広がってきますと、塩は指摘している。




 
「現代医学をもふくめて、科学の衣を着ると、正当化される。奇怪なるものまでまかりとおる。いまの健康産業全体にみられる傾向ですが、どれも科学の扮装をこらして、わけのわからないものをおしだしています」と、梅棹は指摘している。




2024年になっても梅棹の言うことは当てはまるなあ。





高齢化社会で「健康」をキーワードにして製品やサービスを提供すれば、食いついてくる消費者がたくさんいるからなあ。