隕石が落下したというニュースをたまに聞くことがある。
江戸時代の人は隕石をどのようにとらえていたのか。
古文書を丹念に調べることで「忘れられた隕石」に光が当たった。
江戸時代の1817年12月29日に八王子と付近の村々に隕石が落下した。
しかし、長い間忘れ去られていた。
よく考えたら不思議なのは「隕」の字。この「隕」は「落ちる」「死ぬ」という意味。
通常使用されている熟語は「隕石」「隕鉄」など隕石に関係するものしかないそうだ。
江戸での目撃記録があった。それは越後屋(三井)江戸本店の業務日誌「永聴記」に記載があった。
場所は三井本館のある東京都中央区日本橋室町。
1814年11月に、「22日、晴天、未(ひつじ)の下刻、震動がして、空中を怪しいものが通った」という記述があった。
あの寛政の改革を行なった老中の松平定信が隠居してから書いた「花月日記」という日記がある。
1814年11月に、「青い色の長い玉のようなものが三つくらい、東から西へ飛んで行った。その後で響き渡ったという。不思議なことだと言い合った」
天文学に関する知識が発達していない時代なので不思議に思っただろう。
八王子に落ちた隕石が不思議な所から見つかった。
昭和になってから、京都の土御門家の古文書の中から八王子隕石の破片が見つかった。
土御門家は平安時代に活躍した安倍晴明の子孫で、陰陽道、天文道、暦道で朝廷に仕えた公家。
いろいろなことが積み重なって隕石の行方をたどることができた。