今日は「十日夜」だという
十日夜?十五夜か十三夜の間違いじゃね?
十日夜(とおかんや)とは、旧暦10月10日に行うお月見のこと
古来の収穫祭(Harvest festival; Thanksgiving)である
今年(2021年)の十日夜は、今日11月14日(日)
ただし、月齢に関係なく新暦の11月10日に実施する地域もあるという
と、偉そうに書いたが、私も知ったのは、つい先年のことだ
収穫祭といえば、アメリカのサンクスギビングデーの方が有名なくらいだ
アメリカの収穫祭を知っているのに日本のを知らないのもおかしな話だが…
それだけ、自然との距離が遠い生活をしているということ
昨年(2020年)11月24日の日経新聞の「春秋」にもこうあった
「食べ物が簡単に手に入る都会で、「十日夜」に昔の人々が込めた収穫への祈りは実感しにくい」
そして、日本がアメリカ化している証左でもあろうか
いまアメリカ化と書いたが、一般的にはこれをグローバリゼーションという
またまた、私のブログではすっかりお馴染みとなった米原万里著『米原万里の「愛の法則」』(集英社新書)からの引用で恐縮だが
同書(pp.64-65)にはこうある
「イギリスやアメリカが、自分たちの基準で、自分たちの標準で世界を覆いつくそうというのがグローバリゼーションです。
ですから、私は同時通訳のときに、日本人が国際化と言うと、すぐ自動的にグローバリゼーション(中略)と、ほとんど同じ言葉に訳してきましたが、(中略)ほんとうは逆の意味なのです。『国際化』と言うとき、日本人が言っている国際化は、国際的な基準に自分たちが合わせていくという意味です。国際村に、国際社会に合わせていく。
アメリカ人が言うグローバリゼーションは、自分たちの基準を世界に普遍させるということです。自分たちは変わらないということです。自分たちは正当であり、正義であり、自分たちが憲法である。これを世界各国に強要していくことがグローバリゼーションなのです。
(中略)あいだには、ものすごく大きな溝があるわけです。正反対の意味」
力関係で決まるデファクトスタンダード(de facto standard)も同類だろう
ただし、国際社会のパワーバランスが変われば、グローバリゼーションの姿も、今後また違ったものになるに違いない
歴史を振り返ると、日本は公用語(official language)を他国語に変えようという動きが、過去何度かあったそうである
明治時代には日本語廃止論まであったというから驚きだ
そこまでグローバリゼーションしちゃうのか!?という感じだ
しかし、米原さんによると、まだ石器時代だった日本に当時先進国だった中国から漢字が入ってきたときに、日本語はとてつもなく大きく変質したという(詳しくは、機会があれば、またここで)
近年も、英語を第二公用語にするという議論がときどき巻き起こっている
世界中の文献の9割は英語で書かれていることを考えると
皆が英語をもっと上手に使えるようになるのは大きな意義がある
しかし、一方で米原さんは凡そ次のような指摘をしている
英訳されていない、または、英訳できない日本語の文献・情報が大量にあるが
英語が中心になってしまうと、結果として、これまでに蓄積された膨大な日本語で書かれた情報を捨てることになり兼ねない(ごく一部の学者たちの研究対象になってしまう)
言葉が変われば、それと同時に、日本人のメンタリティー(わびさびの類や、よろしくお願いします、おつかれさまです、いただきます、敬語…)をすべて捨てることになる危険性もある
ただし、他国文化の影響を受けず純粋培養された文化というのはどこにも無く
独自文化というのは独自の割合の程度によるのかもしれない
蛇足(superfluity; digression)だが、日本語について、こんなことを言った外国人がいるという話を聞いたことがある(実話かどうかはわからない)
「『じゃ、よろしくお願いします』は、会話を締めやすい便利な言葉だ」
「日本語の敬語は『あくまで仕事上ですよ』とか『なれなれしくしないで』と相手に分かってもらう(壁を作る)のにとても便利だ」