本丸御殿第一期公開が始まったので行ってきました。

名古屋城は16世紀前半に今川氏親が尾張進出のために「柳ノ丸」を築いたのが始まりと言われています。
その後、今川氏豊から織田信秀(信長の父)が奪い取り「那古野城」と改名されました。
信長が生まれたのは、勝幡城とも那古野城とも言われています。
織田信秀が古渡城に移ると、那古野城は信長の居城となりますが、1555年信長が居城を清州に移すと廃城になってしまいました。
その後は清州が尾張支配の中心でしたが、1610年に家康の天下普請により西国大名の手で名古屋城が築かれ、尾張藩の居城となりました。この時、清州から名古屋への町ごとの引っ越しが行われました。所謂「清州越し」です。

$子供と城めぐり-名古屋城正門
名古屋城正門

$子供と城めぐり-名古屋城総合案内
正門を入って右手にある総合事務所。100名城スタンプはここで出してもらえます。
地下鉄で来る場合、正門より東門の方が近いのですが、東門から入った場合は、
改札で頼むとスタンプを出してくれます。

$子供と城めぐり-名古屋城西の丸から
西の丸から見た大天守。


$子供と城めぐり-東南隅櫓
東南隅櫓は国の重要文化財。(他に西南隅櫓、西北隅櫓、表二之門も重要文化財)



$子供と城めぐり-清正銅像
清正公石曳きの像。

$子供と城めぐり-名古屋城天守本丸から
本丸から見た大天守。

$子供と城めぐり-本丸御殿正面$子供と城めぐり-本丸御殿内部
本丸御殿の復元が始まり、第一期公開として、まずは玄関、表書院などが公開されました。
2016年には第二期公開として対面所等、2018年には第三期公開として上洛殿等が公開され、
全体公開となる予定です。

$子供と城めぐり-本丸御殿建築現場
工事の様子も公開されています。

$子供と城めぐり-名古屋城スタンプ
暑い中、岐阜城に行ってきました。

岐阜城は1201年に二階堂行政が稲葉山に砦を築いたのが始まりと言われています。もちろんこの頃は「岐阜」とは呼ばれていません。
しばらく二階堂氏やその一族が城主を務めていましたが、二階堂行藤の死後、廃城となっていました。

15世紀中ごろに美濃守護代である齋藤利永がこの城を修復しました。
1525年齋藤氏家臣の長井長広らが謀反を起こし稲葉山城を支配下に置き、1530年代には長井新九郎規秀(齋藤利政・齋藤道三)が城主となり山頂に城を築きました(稲葉山城)。
齋藤氏は、織田信秀(1547年加納口の戦い)、織田信長(1561年)による美濃攻略から城を守りますが、最終的には1567年織田信長により城を奪われました。
その年のうちに信長は小牧山城から稲葉山に本拠地を移し、城と城下町の名を「岐阜」と改めます。

1576年、信長が安土城を築城すると、嫡子織田信忠に岐阜城を譲ります。
本能寺の変後は、度々城主を変えますが、最後は織田秀信(三法師、信忠の嫡男)が関ヶ原の前哨戦で降伏するまで城主を務めました。

1601年、徳川家康は織田色が強く、険しい山城であった岐阜城を廃城とし、奥平信昌(家康の長女の婿)に10万石を与え加納城(岐阜市)を築城させました。天守や櫓もこの時に移築されたそうです。

江戸時代、金華山は尾張藩の藩有林となり、一般人の立ち入りや伐採が禁じられました。

$子供と城めぐり-信長銅像
岐阜城がある金華山の麓は岐阜公園として整備されています。入り口には信長の銅像。


$子供と城めぐり-居館跡石碑$子供と城めぐり-居館跡
麓の岐阜公園内には織田信長居館跡があり、現在も発掘調査が進められているようです。

$子供と城めぐり-岐阜城天守$子供と城めぐり-岐阜城天守近影
ロープウェイで登り(登山道もたくさんありますが)、さらに山頂まで歩くと天主があります。
本丸が狭く、天主のまわりに木も多いので写真が撮りにくい・・。


$子供と城めぐり-岐阜天守からの景色
天主からの眺望。長良川が見えています。

$子供と城めぐり-岐阜城資料館
天主閣から東に一段下がったところに岐阜城資料館があります。
ここには、かつて米・塩・味噌を蓄える蔵と弓矢を備えた蔵が建っていたと考えられています。
この資料館の受付で頼むと100名城スタンプを出してもらえます。

$子供と城めぐり-岐阜城スタンプ
岡崎城は1452年頃、三河国守護仁木氏の守護代西郷氏が築城したのが始まりと言われています。
1531年に松平清康(徳川家康の祖父)が西郷信貞から城を奪い、城郭を整備しました。家康が生まれたのも、ここ岡崎城です。
その後、今川氏の支城とされたりしますが、桶狭間の戦いで今川義元が倒れると家康は岡崎城を取戻し、独立します。

1590年、家康が関東移封になると、田中吉政が城郭および城下町の大幅な整備を行いました。

江戸時代は、家康生誕の地ということから三河の拠点として重要視され、本多氏(広孝系)、水野氏、松平氏(松井松平)、と譜代の家臣が城主を務め、本多氏(忠勝系)の時に幕末を迎えました。


$子供と城めぐり-岡崎城東隅櫓
駐車場に車をとめると、すぐに東隅櫓が目に入ります。

$子供と城めぐり-岡崎城大手門
大手門


$子供と城めぐり-家康銅像$子供と城めぐり-忠勝銅像
徳川家康公銅像(左)、本多忠勝公銅像(右)。園内には他にも銅像、石像があります。

$子供と城めぐり-青海堀
青海堀。本丸の北にある最も深い堀で、背後からの敵の侵入を阻みます。

$子供と城めぐり-岡崎城天守
望楼型の天守。1階に入場券売り場があり、そこで頼むと100名城のスタンプを出してくれます。

園内には他に三河武士のやかた家康館などもあり、結構楽しめました。

$子供と城めぐり-岡崎城スタンプ
日本100名城スタンプラリーの、一つ目のスタンプにははやり国宝の城をと思い、まずは犬山城へ行きました。

犬山城は1491年、織田伊勢守家の一族である織田広近が砦を築いたのが始まりと言われていますが、現在の位置に城郭が作られたのは、1537年織田信康(織田信長の叔父)によるもので、現在の天守の2階部分までは、この頃作られたものと考えられています。
信康の息子の信清は、織田信長と対立することになり、信長に犬山城を攻め取られてしまいます。
その後は、池田恒興、織田勝長(信房とも:信長の五男)などが城主を務めます。
小牧・長久手の戦いでは、池田恒興が織田信雄方から犬山城を奪取し、秀吉も入城して小牧城の家康方とにらみ合いました。豊臣時代から、江戸時代初めまで城主は度々変わりますが、最終的には尾張藩付家老の成瀬正成が城主になり、廃藩置県で廃城となるまで成瀬家の居城でした。

$子供と城めぐり-犬山城空堀
空堀も残っています。

$子供と城めぐり-犬山城本丸門
本丸に入る門のところで入場券を切っていますが、この門の2階部分が事務所になっていて、100名城スタンプはそこにあります。

$子供と城めぐり-犬山城天守

三重四階地下二階の望楼型で、古い様式の天守です。小ぶりな天守ですがとても趣があります。

$子供と城めぐり-犬山城本丸
天守から見た本丸の様子。

$子供と城めぐり-犬山城スタンプ
城山八幡宮の近くのエスニック料理店で息子と夕食を食べる前に寄ってきました。

末森城は1548年に織田信秀(信長の父)が、今川氏らの三河方面からの侵攻に備えて築城しました。信秀の実弟である信光が守る守山城とともに東の防衛ラインを構成していました。
信秀が死去したのは、この城であるも伝えられています。
城主は織田信行(信勝とも:信秀の三男で、信長の弟)でしたが、二度にわたる信長への謀反の末、信行が清州城で信長に謀殺されてから城主はなく、廃城になりました。

現在は城山八幡宮となっています。

$子供と城めぐり-末森城空堀 $子供と城めぐり-城山八幡宮案内図
空堀などは良い状態で残されています。




$子供と城めぐり-末森城本丸 $子供と城めぐり-末森城址石碑
本丸には城山八幡宮の本殿などや末森城址の石碑があります。

$子供と城めぐり-昭和塾堂
二の丸にあたる場所には、昭和塾堂が建っています。これは昭和3年に青年教育などを目的に作られた帝冠様式の建物で、現在は、愛知学院大学が使用しています。