子供との旅行は古城ばかりというわけにいきません(笑)。
というわけで番外編です。

シンデレラ城は、ディズニー映画「シンデレラ」に登場する城をモチーフに、東京ディズニーランドのランドマークとして1983年に建てられました。
29本の塔があり、高さは51mと現在の大阪城(天守台と天守閣および鯱を合わせた総高54.8m)より若干低い程度で、日本の城でこのシンデレラ城よりも高い城は数えるほどしかありません。
石垣や窓、扉などが上に行くに従い小さくなる強化遠近法という手法が使われており、これは実際の高さより城を高く見せる効果があります。
実際、少し離れたところから見ると大阪城よりもかなり高いかのような印象を受けます。
でも、近づくと大阪城より随分小さい感じもします。これは塔が多く、高さはあるけど床面積が大きいわけではないという、日本の天守閣とのデザイン上の違いによるものかもしれません。

$子供と城めぐり-シンデレラ城正面
逆光ですが、正面からの写真です。東京ディズニーランド開園30周年のデコレーションが施されています。

$子供と城めぐり-シンデレラ城背面
反対側、ファンタジーランド側から。
岩村城の本丸は海抜717mと、諸藩の居城の中でも最も高い所に位置しており、日本三大山城にも数えられています。

13世紀ごろ遠山景朝がこの地に赴任してから長い間、遠山氏の居城でした。とはいってもこの頃は城館のようなもので、本格的な山城が築かれたのは16世紀に遠山氏、武田氏によるものと考えれれています。
遠山氏最後の城主は景任で、その夫人は織田信長の叔母(通称おつやの方)でした。
1571年、景任の没後、信長は5男の坊丸(当時6歳。後の織田勝長)を遠山氏の養子に送り込み、おつやの方は幼い坊丸の代わりに女城主として差配をふるいました。

1572年武田信玄は遠江の徳川家康攻略に出陣するとともに、秋山信友に岩村城攻略を命じます。岩村城は容易には落ちませんでしたが、最終的には信友がおつやの方を夫人に迎えることを条件に開場しました。これに伴い坊丸は人質として甲斐に送られることになり強く信長の怒りを買うことになります。
1575年長篠の戦いで武田氏の弱体化が見られたのを機に信長は、長男信忠を総大将に岩村城奪還を試み、5か月にわたる戦闘の末、城は開城することになりますが、その時の条件だった助命は翻され、信友夫妻はじめ5名が長良川河原で逆さ磔となり処刑されました。ちなみに坊丸は1581年武田勝頼により織田方に返還され犬山城主となり、信忠の与力として活躍しますが本能寺の変の際に二条御所で討ち死にしました。

織田方のものとなった岩村城は河尻秀隆が城主とり、現在の形に近い城郭へと改修されます。
その後は、森氏、田丸氏、松平氏、丹羽氏と度々城主が変わりますが、1702年松平乗紀が入城し、そのまま明治維新まで大給松平氏の居城となりました。



$子供と城めぐり-岩村城門$子供と城めぐり-岩村城太鼓櫓
再建された門と太鼓櫓。この奥に岩村歴史資料館があり、その受付に100名城スタンプがあります。

$子供と城めぐり-岩村城石畳
石畳

$子供と城めぐり-岩村城石垣
東曲輪の東側から見た石垣。

$子供と城めぐり-岩村城長局埋門跡

長局埋門跡。東曲輪から本丸へ向かうところにあります。

$子供と城めぐり-岩村城本丸$子供と城めぐり-岩村城跡
本丸跡。

$子供と城めぐり-岩村城出丸管理棟
出丸管理棟(蘭丸)。
歴史資料館から本丸まではかなり山を登ることになりますが、本丸近くの出丸駐車場まで車で行くことも可能です。

$子供と城めぐり-岩村城スタンプ
安土城からそれほど離れていない観音寺城も合わせて行ってきました。
観音寺城は山の上に城があるというより、山全体が城といえるような、かなり大規模な城だったようです。本城跡は観音正寺から約300mほど山道を行ったところにありますが、道はあまり整備されておらず、一部は獣道の様でした。麓から観音正寺までは表参道を歩くと40分ほど山を登る必要があります。しかし、500円払うと裏から林道を通って観音正寺の近くまで車で行くことができます。子供連れの私は迷わず林道を使いましたが、石垣などを見ながら山を登ってみるのも良いかもしれないと思いました。

観音正寺は、近江源氏佐々木氏が四家に分かれたうちの一つ、近江南部を支配する六角氏の居城でした。正確な築城年代は明らかになっていませんが、最初に記録に出てくるのは1335年に北朝方の六角氏頼が篭もったというものです。観音寺城がある繖山(観音寺山)には、聖徳太子が開いたとも伝えられる観音正寺があり、当初は観音正寺を砦として活用していたものが、1500年代に改修を繰り返し、中世の城では珍しい石垣を大規模に用いた城郭になったと考えられています。

1568年足利義昭を擁して上洛の大軍を興した信長に六角義賢・義治父子は敵対しますが、織田軍の勢いに押され父子は観音寺城を捨て逃げ出します。父子はしばらくゲリラ的に信長と対立を続けましたが観音寺城に戻ることはできず、その後廃城となりました。

$子供と城めぐり-観音正寺入口
林道を上がった駐車場から観音正寺への入り口。

$子供と城めぐり-観音正寺
観音正寺内のこの建物の中に100名城スタンプは置いてありました。

$子供と城めぐり-観音正寺から本城への道
観音正寺から本城跡までの道

$子供と城めぐり-観音寺城本城跡 $子供と城めぐり-観音寺城石垣
本城跡と本城跡に残る石垣

$子供と城めぐり-観音寺城スタンプ
子供と城めぐりを始めるきっかけとなった「信長夢街道スタンプラリー2013」も安土城で最後です。
このスタンプラリーのスタンプは、JR安土駅南口にある「安土城郭資料館」にあります。
$子供と城めぐり-夢街道スタンプラリー


安土城ができる前の安土山(目賀田山)には近江守護の佐々木氏に仕えた目賀田氏の居城があったそうです。
1576年、信長は丹羽長秀を総普請奉行に安土城の築城を開始します。安土山のある南近江は岐阜よりも京に近く、北陸への交通の要所でもありました。総石垣や初の天主閣を持つ安土城は、近世城郭の範となり後の築城に大きな影響を与えました。1582年信長が本能寺で倒れると混乱の中、天主なども消失します。その後も、秀信(信長の孫、信忠の嫡男)が清州会議の後に入城するなどしばらくは二の丸を中心に機能していた様ですが、1585年羽柴秀次の八幡山城築城に伴い廃城となったと言われています。

$子供と城めぐり-安土城大手道
安土城大手道

$子供と城めぐり-安土城伝前田利家邸
伝前田利家邸跡

$子供と城めぐり-安土城伝羽柴秀吉邸
伝羽柴秀吉邸跡

$子供と城めぐり-安土城二の丸
二の丸

$子供と城めぐり-安土城信長公本廟
二の丸にある信長公本廟。
この本廟の脇に100名城スタンプが設置されていました。

$子供と城めぐり-安土城本丸
本丸。左に見える石垣は天守台。

$子供と城めぐり-安土城天守閣跡
天守閣跡

$子供と城めぐり-安土城天守台からの景色
天主閣跡からの眺め。
奥に琵琶湖が見えますが、築城当時の安土城は琵琶湖に面していたそうです。
現在、琵琶湖から少し離れているのは、昭和に入って干拓されたため。

$子供と城めぐり-安土城スタンプ
連休を利用して近江の城をいくつか周ってきました。
途中、強い雨にも降られ、子連れ旅では機動力が著しく落ちましたが、それでも楽しく行ってくることができました。

彦根城は、関ヶ原戦いの後、近江国北東部に封ぜられた井伊氏居城で、西国大名への抑えとして置かれた城です。幕末まで井伊氏の居城であり明治の廃城令も逃れ、国宝の天守の他、櫓や門などが重要文化財に指定されています。

徳川四天王の一人である井伊直政は、1600年関ヶ原の軍功で近江北東部に封ぜられ、石田三成の居城であった佐和山城に入ります。佐和山城「三成に過ぎたるもの」と言われたほどの名城ではありますが、中世的で古い縄張りであったことや、善政を敷いていた三成の評判が領民の間で高かったため石田色を払拭したかったことなどから、居城を移すことを計画したと言われています。しかし、直政は関ヶ原の戦いでの傷がもとで1602年の死去してしまいます。直政の長男直継(後に直勝)が家督を継ぎますが、幼少であったため家老の木俣守勝が徳川家康と相談し彦根城の築城をすることとなりました。
築城には尾張藩をはじめ12大名(15大名ともいわれる)が手伝いを命じられる天下普請でした。

$子供と城めぐり-彦根城大手門
大手門

$子供と城めぐり-彦根城内堀
内堀。広い犬走りがあります。

$子供と城めぐり-彦根城天秤櫓
天秤櫓(重要文化財)。

$子供と城めぐり-彦根城太鼓門櫓
太鼓門櫓(重要文化財)。

$子供と城めぐり-彦根城天守
天守(国宝)。1622年築城と、比較的新しい城郭なのですが、
三重の望楼型天守にはどことなく古風な趣があります。

$子供と城めぐり-彦根城博物館
表御殿を復元し、彦根城博物館として使っています。


$子供と城めぐり-彦根城佐和口多聞櫓
佐和口多聞櫓(重要文化財)。他に、馬屋、西の丸三重櫓が重要文化財に指定されています。

スタンプは表門チケット売り場の横に置いてあります。
$子供と城めぐり-彦根城スタンプ