やはり日本の画家の中でも葛飾北斎は別格、富嶽三十六景は子供の頃から大好きで、
その富嶽三十六景の一つに佃島(武陽佃島)があります。
佃島は江戸時代、徳川家康が当時摂津地方の佃村の漁師達にお世話になったとかで、隅田川の中洲の小島を漁師たちに用意し開発をお願いした場所らしい。
そんなかんだで、自分は生まれて初めて佃島と月島を訪れてみました。
東京生まれの人なら分かりますが、東京の下町(東側)と山の手(西側)多摩地区(眼中なし)と、そこの地域に生まれた人にとってその他の地域は外国に等しい。自分は山の手のさらに西端の杉並に生まれた事もあり、東京の下町は全く意識せず育ちました。
そんな自分にとって東京下町巡りは殆ど外国旅行に等しく、特にコロナ禍によって海外旅行に行けなくなった今は東京下町巡りが楽しくてしょうがない。
自分の佃島の光景は葛飾北斎の描いた絵で止まっています。
もちろん、今の時代に手漕ぎボートで離れ小島から漁に出かけているとは思っていませんが、現在の佃島の歴史を調べててもそれなりの歴史の跡は残っている様。
現在の佃島は周辺も埋め立てられ内陸の一部と化していますが、地図を見ると昔からの佃島の形が良くわかります。西側と東側に2つの島、それを繋ぐ佃小橋と、北斎の絵のままの佃島の形が今の道路区画に反映されています。後に北側を石川島として埋め立て、そして南部月島を埋め立て現在の地形に至る。たった百年程で佃島は陸地の一部となったようです。
佃島は現在も漁師の町であることが分かる船留まり。
船留まりから隅田川へ出る水路。
海の神様を祀る住吉神社を囲むような水路の様は多分江戸の風景のままの様な気がします。
住吉神社はかつての故郷摂津の方角に向いている。
そして、摂津の漁師達の保存食が佃煮となり、老舗の佃煮屋”天安”の店には昔からの風呂敷暖簾が掲げられている。江戸商人のスタイルを作り上げたのが大阪商人だったと言うのも面白い。
30分もあれば普通に周れてしまう程の佃島だが、この狭いエリアには数多くの神社や稲荷社が存在している。やはり自然と相対する漁師達の信仰心の高さは健在です。
周辺をタワマンに囲まれながらも、佃島の一角だけは時間が止まっている。
東京レトロを飛び越えて江戸時代まで遡れる佃島はとてもお気に入りの場所になりました。