作家の回顧録などでスランプに陥った経験話などを見ることがある。
その手の話にはかならず絶好調だったときの話もある。まさになにも悩まずとも次から次へのアイデアがわいてきて、文字にするのももどかしいほど・・・・
スランプと好調
表裏一体なのである。
物書きの大先生ですらそうなのだから、オイラの様な与太話を書き飛ばしているものであっては推して知るべしである。
だいたい、好調?な時は次から次へとネタが沸いてきて、そのネタのキーワードを忘れないうちにメモするだけでもひと苦労だ。
反面、ハタと筆が止まるときもある。
そんなときに四苦八苦して無理矢理なにか書こうとすると、しょうも無いことばかりとなる。
ツイッター並に意味の無い文章となるのだ。こんな事書くとつぶやき好きの人に怒られそうだが。(苦笑)
つかれたー
たのしー
むかつくー
おいしー
オイラの与太話がTwitter並みのレベルになり、内容が薄っぺらなとき(内容が濃いときがあるのかという突っ込みは受け付けない)はだいたいスランプに陥っていると思ってもらってかまわない。(´ー`)┌フッ
好調?な時に書きためた「ネタ」の中で、旬な話題とか時事ネタ辛みで無いものは暖めておくことあり、最近はそこそこ「ネタのストック」もある。だから、スランプに陥るとその手のネタから小出しにしたりすることもある。
バキッ!!☆/(x_x)
だが、好調なときに書き飛ばしたネタを読み直しつつ、手直しをしていると案外、スランプ脱出のきっかけをつかんだりすることもあるから面白い。
なにがきっかけと説明しにくいのだが、見聞きすることへの反応の仕方というか、五感の感度が上がってくると言えばいいだろうか?
んでもって、そんな状態から抜け出し掛けて居るときは、無意識に昔書いたことと同じネタを書いていたりする。
まあ、単純に加齢による「呆け」のせいで同じことを繰り返しているだけという可能性も否定はできないのだが。
あゆみさんや、晩ご飯はまだかいのぉ?
あら、おじいちゃん。さっきたべたばかりでしょ
バキッ!!☆/(x_x)
それでもネタ自体は使い回しでもその時々で微妙に言い回しが変わっていたりする(と思う。比べたことは無いので詳細不明)のは、やはり五感の感度がその時々で違うからなのだろう。
加えて言えば、感度も違うが、アンテナが向いている向きも違うため、書いているうちに話の展開が変わってきてまた新たなネタにつながったりするのだ。(^^)v