人間尊重ってなんだろう?? | 木馬の四方山ばなし

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人間尊重という言葉を良く耳にするが、その本質ってなんなのだろう?

体制や組織の中で人間尊重を声高に叫ぶ人は、多くの場合は不平、不満があってのことである。
コンプレインってやつだな・・・

しかし、そこで主張している
人間尊重
ってどんなことなのだろう???

単に自分がやりたいことを出来ない事や自分に対する評価への不満、またまた人事に関する不満だったりしないのだろうか???
確かに人間尊重と密接にかかわる問題ではあるが、組織が大きくなればなるほど、全員が本人の意に沿ったことを出来るようになるのは相当にむずかしい筈だ。
ましてや自分自身の評価と、周りからの評価が食い違う人の場合は、ただのわがままな主張になっている場合も少なくない。

そんな中で
人間尊重
を貫くのは非常にむずかしいことだと思う。
難しい問題なのでオイラにも答えは見えていないが、だからといって不平不満をたやすく口にすることにもかなり抵抗があるのは事実。
何でも甘んじて受け入れるべきなどと言うつもりはさらさら無いが、ある意味、運命の中で自分の未来を切り開いていこうという思考に切り替えた方が、自分自身がハッピーになれると思うんだが。

何でオレが・・・、どうしてそんなことを・・・・

そんなマイナス思考でぐじぐじしていたら、絶対にハッピーにはなれないと思うなぁ。
ね、そう思わないかい????

集まりが小さければ利害関係を一致させるのは容易だし、目標、目的を共有することも可能だ。
しかし、集まりが大きくなればなるほど、集まりの中での利害が一致しなくなり、自己矛盾が起きるものだ。

たとえば・・・・
家庭の中ならば意見を一致させることは可能。
小さな村の中でならば、お互いを尊重する気持ちさえあればさほどむずかしいことでは無い。
いくつかの村が集まった町では、意見を一致させるのはだんだんむずかしくなってくる。
市や県、国・・・・。どんどんくくりの単位が大きくなればなるほど、自己矛盾の中からそれでも半ば強引に統一見解、意思を決定しなければならなくなる。

その場合に、単に持つものと持たざるものに分けてしまうのは絶対に駄目だ。
あるAというものに関しては、こちらがいい思いをし、Bというものに関しては、あちらがいい思いをするという形でのバランスが必要なのだろう。
よく言う、
Win-Win
の関係というやつだ。
もちろん、そんなに簡単なことでは無い。人間ってのは欲深いからすべてのことに関して、自分が良い思いをしたいと思うからだ。
そんな中で「人間尊重」だなんて言葉を軽々しく使わずに、互いを尊重し、尊敬して欲しいと思う。
もう少し大局を見て欲しいとも思うなぁ。