少し前、その日がジョンレノンの命日だというコラム記事を読んだ。
記事の内容はおぼえていない。
ただし、事件の方は当時、大変な騒ぎになったことだけは記憶している。
しかし、今もそうだが、あまり洋楽を聴かないボクにとって、ビートルズは
知っている
レベルの存在でしかなく、ジョンを神格化して熱く語るマニアの心境は全く理解不可能だった。
そんな中、クラスメートが卒業文集だったか何かの作文でジョンを殺害した人の心境について書いていたことだけは今でもおぼえている。
犯人は、ジョンを崇拝するあまり、その存在を絶対不変のものとして己の中にとどめておくために、ジョンを殺したのだ。
簡単に要約するとそんな内容だった。
当時はまだまだ子供だったのか、そんな身勝手な発想が世の中に存在することすら想像できなかったボクにとっては非常に衝撃的な考察だった。
今にして思えば、彼もどこかで読んだ文章を焼き直して書いただけだったのかもしれないが、ボクにとっては完全に新しい発想だった。
あれから長い月日を経て、今、スティーブ・ジョブズを神格化し、崇拝するマック信者の文章を見る機会があると、上述のジョン・レノンの場合といろいろなことが重なり合う。
決定的に違うのはジョブズの命を奪ったのは病気であり、個人の思いでは無いと言うこと。
ジョブズやビル・ゲイツがコンピュータ産業にもたらした功績を疑うつもりはないが、こうした出来事も含め、いずれ歴史がジョンの、そしてジョブズの価値を決めていくのだろう。
日が暮れるのが早くなり、何となく物思いにふける時間が増えた、初冬の夜の独り言である。
さ、もう一杯飲んだら寝よう。。