初めて一眼レフを使ってちゃんとした?写真を撮ろうと思い始めたのはいつだろう。
せいぜい7、8年くらい前のことだと思う。
そのころは風景やお祭りなどをメインに撮っていた。
身近にカメラ仲間といえる人は居なかったのでカメラ雑誌を読むことが情報のすべてであり、ある意味、独学での手探りの撮影だった。
当時、何度かカメラ雑誌のフォトコンテストにも応募してみたことがあるが当然、かするはずもなく・・・・
その後、馬場伸幸氏主催のババロア撮影会に参加するようになり、ポートレイトの撮り方に関してはいろいろ教わった。
それにそこに集まるメンバーとも親しくなり、彼らからもいろいろなことを教えてもらった。
少しずついろんな事がわかるようになると、自分のレベルが見えてくる。(^^;)
だから、このころはフォトコンにはおこがましくて、まったく応募する気はなくなり、ただひたすら撮りまくった。
2006年の夏以降は撮影対象がモータースポーツに移り、これまたむずかしくてフォトコンどころかプリントする気にもなれない時期が続いた。
負け惜しみではないのだが、そもそもフォトコンテストというのは、ごく限られた人数の審査員によって優劣がつけられると言うことに今ひとつ違和感がある。
審査員の好みを予想するとか、月刊誌のフォトコンでは先月はこう言うのが採用されたから次はきっとこういう傾向の作品が評価されるだろう・・・・・なんて言う駆け引きも必要らしい。
もちろん、その道のプロが選定するのだから、良い作品が選ばれることに間違いはないと思うのだが、なんか今ひとつ消化しきれない気分だ。
その昔、学生の頃の話。
バイクやエンジンに興味があり、そう言った方面の研究室に所属していたボクはいわゆる
エコラン競技
に興味を持った。
一定のレギュレーションの元で制作した車両で、同条件下で走行して燃費を競う競技だ。
エンジンのセッティングや、マシンの軽量化、各部の機械損失をいかに少なくするか・・・・等が勝負の分かれ目である。
しかし、よくよく調べると、走行途中でエンジンを停止しても良いというルールがあり、一定の速度に到達したらエンジンを切ってしばらくは慣性で走行し、車速が落ちたらまたえんじんをかけるというやり方が常套化しているらしい。
そうなると純粋にメカニカルな勝負ではなく、ライダー(ドライバー)の駆け引きがかなり重要なファクターとなってしまう。
今、考えてみれば当たり前のことであり、それも含めての競技だと、ごく自然に理解できるが、当時のボクにはなんだか(卑怯とまでは言わないが)ずいぶんグレーなルールなんだな・・・とおもい、一気に興味が失せたのを思い出す。
ま、若かったって事かな・・・・
(´ー`)┌フッ
話が横にそれたが、ある意味似たような印象をフォトコンテストというものに抱いたので、興味が失せたのも事実だ。
しかし、先日書いたように、写真はプリントしてなんぼ・・・・というのも事実だ。
(すべてではないと思うが・・・・)
だから、今年は年間を通じてまあマシと思えるカットをプリントしてみた。
パソコンで見る画像ととプリントしたものではけっこう見栄えが違うので、候補といえるものも含めて30~40枚くらいはプリントしたと思う。
あらかた、プリントし終えたので、この後は何度か繰り返し眺めながら、選んで行きたいと思う。
自分なりの
年間ベストショット in 2009
である。
ある意味、究極の
組写真
とも言えると思う。
撮っている時は明確に自分で意識していなくとも、こうして眺めると撮影テーマは無意識のうちにも一貫している。
それは撮るカットにも現れるし、こうして選んでいく時の好みにも表れる。
ボクのモータースポーツ撮影における普遍的なテーマは
Will
ゲーム機の名前ではない。(爆)
Will=意志
である。
ライダーやドライバーの勝利に対する執着心、勝負魂を写しとりたい。
だから、視線が重要なファクターになる。
マシンのかっこよさやアクションを移すと言うよりは、やはり人間中心なのだ。
こうして年間をふり返り、自分が無意識のうちに追い求めてきたものが何だったのかをあらためて考えると、自分が「ハコ」を苦手とするのも理解できる。(笑)
2輪やフォーミュラマシンではライダーやドライバーがむき出しで、その意志は全身に表れるので、ねらい所は絞りやすい。
しかし、GTマシンはそうはいかない。
何たってコックピットに収まったドライバーを勝利に対する執着心を写しとるのは非常にむずかしい。
こういった部分も来年の課題だな・・・・