くどいようだが今年は昨年にもまして8耐を満喫した。
この楽しさは、多くの友人たちに支えられていたのは言うまでもない。
その8耐の余韻がまだ消えないので少しばかり思い出話を・・・・
鈴鹿8時間耐久ロードレース
通称「8耐」
1978年からはじまったものらしい。
昨年で30回目、今年で31回目の大会だったそうだ。
30周年を記念して昨年までの分をまとめた総集編DVDが発売されていた。
そんなの買っても絶対に見ないよ・・・・と思って手を出さなかったのだが、先週末に8耐に出掛けてきて、すっかり気分が8耐になっていたせいか、つい、うっかり?衝動買いをしてしまった。
1978ー2007
の30回分だ。
思えばボクが雑誌で8耐のことを知ったのが、1981年頃だ。
当時、バイクブームの中でバイク雑誌を眺めてはWGPや8耐、そして当時復活したホンダのNR500の記事などを食い入るように眺めていたものだ。
とは言え、8耐がなんたるかを理解していたかというとかなり怪しい。
ただ単にバイクに興味を持って雑誌を読みあさったに過ぎない。
しかし、当時はオートバイが、そしてレースが一番輝いていた頃かも知れない。
グランプリレースがまだコンチネンタル・サーカスと呼ばれていた時代だ。
今のGPパドックからは少なくとも「サーカス」という雰囲気は消え失せてしまった。
かつては選手もメカニックも皆、キャンパーで移動し、GPウィークにはパドックがGP村になったという。
ボクがGPを初めて生で体験したのは90年代に入ってからなので、その頃には「サーカス」の匂いは希薄になりつつある頃だった。
当時のGPはF1の影響を受けてか、だんだん商業主義に走り初めた頃で、パドックの景観?をそこなうので洗濯物などを外に干すことも禁止され始めたと言う話を聞いた記憶がある。
その頃はじまった、WSBも見に行ったことがあるが、当時のWSBのパドックはまだ古き良き匂いを残しており、まさに生活空間。
その匂いは「サーカス」そのものだったのを覚えている。(今はWSBもだいぶ変わったんだろうけどさ。)
ちなみにこの時見に行ったのはミサノ。
サンマリノGPだ。
アドリア海に面したリゾート地からほど近いところ。
イヤー。夜のビーチ沿いのストリートが華やかだったなぁ・・・・
ボイン(死語か・・・???)なオネーサンが大勢闊歩していた。
バキッ!!(-_-)=○()゜O゜)アウッ!
そんな古き良き時代のグランプリ。
そしてそのGPライダーが大挙して8耐に参加した80年代後半~90年代前半。
この時期の8耐は単にバイクブームに支えられていたと言うだけではなく、内容的にもハイレベルでまさしく8耐の黄金時代だったと言えるだろう。
当時の映像を見てもやはりGPライダーのハシリはすごい。
多くのトップライダーが集結した。
ぱっと思いつくだけでも
Kシュワンツ、Eローソン、Kロバーツ、Dポーレン、Wガードナー、Cサロン、Dサロン、Mドゥーハン、Mドーソン、Aスライト・・・・
観客席も今みたいにこぎれいになる前なので、2コーナーなどは土手に丸太が着けてあるだけだし、ヘアピンから先には行けなかった時代もある。
そんな一番8耐が熱かった時代をボクは肌で感じることが出来た。
ある意味、ボクのレースに対する興味の原点がここにある。
当時は、あるチームでピットサインをやっていたこともある。ま、使いっ走りだけどね。
当時のプラットフォームには何もなかった。
今のように屋根をつけたり、椅子やモニターを持ち込む事なんて許されていなかった。
文字通り、太陽を遮るものの何もないところで8時間たち続けていた。
ライダーほどではないにせよ、サインマンにとっても「8耐」だったのだ。
夕方、6時頃になるとようやくピットの建物の影が伸びてきてようやくプラットホームにも日陰が出来る。
日陰の涼しさを思いきり噛みしめたものだ。
古い8耐のDVDを見ていて、そんなことをふと思い出してしまった。