世の中、すべからくおせっかいに過ぎるようだ。
この国から自己責任という言葉が消えて久しいように思う。
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/080625/biz0806250121003-n1.htm
今後の車は後部座席の安全性も評価対象にするという。
基本的には賛成だが、その一方で地球環境への配慮で、燃費はよくしろ、排気ガスはきれいにしろ・・・
車はどんどん重くなっていく。
ボクが初めて買ったおんぼろのシビックはたしか700kgちょっとだった。1500ccだ。
次に乗ったクイントインテグラは1600ccで980kgくらいだった。
今はヘタをすると軽自動車でさえ、1トンを超えてしまう勢いだ。
安全装備や排ガス浄化装置などでどんどん重くなっている。
重いから余計燃費は悪くなる。車体に使う鉄板の量も多くなり、その鉄板を作るために化石燃料の消費は増える。
一見、正しい方向を向いている車の「進化」だが、考えようによっては反エコなのかも知れない。
極論かも知れないが、エアバッグやなんちゃらシステムなんてのはすべてやめて、軽い車にしたらどうか?
少なくとも燃費はよくなる。排気ガスも少なくて済むはずだ。
危険に対しては、運転者自らの自己責任において運転して貰う。
as your own risk
って奴だ。
もちろん、自己責任に基づいた権利を主張する前に、社会に対する、あるいは他人に対する責任を果たさなければいけないのは当然のことだ。
事故を起こしたら、運転している方もただでは済まないこと、ましてや生身でぶつかったら、大怪我どころか命に関わるということを世の中全体が再認識する必要があるだろう。
車の安全基準の話題からは逸脱するが、世の中、いたれり、つくせりになりすぎているから、人の痛みもわからないバカが増えるのだ。
ナイフで刺されば死んでしまうこと。カミソリで切られれば血が流れることを今は映像の中でしか学ばないのだろう。
カッターナイフで鉛筆を削ったことがあれば、刃物の使い方を一歩間違えると指先を切ってしまうことや、切れてしまった時の痛みなどを学ぶことができる。
その延長線上として、人に向かって刃物を向けてはいけないことも自然に学べるはずだ。
今更、鉛筆をつかえなどといっているわけではない。
何をするのでも、「何をしたら、どんなことが起きる」という想像力を伴わずに行動するから、訳のわからない事件が起きるのだ。
ハサミや刃物を人に渡す時もはを自分の方に向け、柄を相手に向けるのが常識だと思うが、最近はそんなことすら知らない人が多い。
物事の因果関係に思いを馳せる「考える力」と「ささやかな危険の実体験」を通じて、他人と自分のそれぞれの身の処し方を学ぶのが人間というものではないだろうか?
子供同士のケンカだってそうだ。
泣きながら、砂をつかんで投げるくらいは、互いの人間関係をはぐくむ意味ではあえて眉をつり上げることもない。
素手で殴り合うことくらいなら、時として必要な場合もあるだろう。
しかし、安易に刃物を持ち出したり、徒党を組んで一方的な暴力を働くことは有ってはならない。
高度成長下において家庭よりも仕事を最優先してきた、モーレツ型の団塊世代。
そして団塊ジュニアである、いわゆるサカキバラやアキバ通り魔犯人の世代。
団塊世代よりはひとまわりしたの、バブルを謳歌した世代。
そして今、バブル体験世代が親となり、子供たちを教育?している。
この国の家庭における教育構造はとうの昔に崩壊しており、それを少しでも保管するための役目を持っていたはずの学校教育システムも、我田引水のお役人と政治家のおかげで思想無き迷走を続けてきた。
この混沌とした時代に、我々が次世代に何を残せるのか、何をしたらより良いものを残していけるのか?
・・・・そんなことをガラにもなく、考えてしまった。