撮影日:2016年9月11日
こちらは「正埜邸」です。(詳細は不明)
正埜邸
「正埜邸」から「大手町通り」を歩いた後、
住宅街の細い道をクネクネと歩いた所にあったのがこちらです!
“この木がどうした?” って・・・
違いますよ!その下の石碑です。
“小さくて見えない” って・・・
すいません、「久宝寺城址」って彫ってあります。
“こんなとこに城あったんかいな!”(訳:久宝寺にお城が!)
私もビックリしました。本当に全然知りませんでした。
と言う訳で「久宝寺城」の説明を・・・
久宝寺城は室町幕府に仕えた渋川満貞の居城と云われる。
満貞は畠山満基の長子で、渋川郡を領したことから渋川と称した。
麟角堂を創建し又毎年7月14日・15日は城内で精霊祭を催し、
領民は5日間盆踊りをしたと言う。
満貞の嫡子の光重は播州安井郷を受領、安井と改姓し、
定重の時に織田信長に仕えたが、天正五年、光佐顕如上人の本願寺兵に攻められ、
城は陥落した。城址は寺内町西北の出隅に「城土居」の地名を残している。
って横にあった説明に書いてありました。
またまた、さりげなくマンホールも入れて撮影。
久宝寺城址
こちらは「太田邸」です。(詳細は不明)
シルバーのシャッターが斬新です!
太田邸
同じ様な写真ばかりですいませんが、
こちらは「木村邸」です。(詳細は不明)
木村邸
Nikon D7100 & SIGMA 8 -16mm F4.5-5.6 DC HSM
Photomatix / View NX2 / Photoshop
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