階上地区からの帰り、モコさんとてっちゃんから預かった物資を手に気仙沼市内の幹線道路沿いへ待ち合わせした友人に会った。
彼女は、4歳の女の子のシングルママ。
自宅は無事らしいが、ママ友さんやら友人らが被災をし、仮設住まいだとの話を聞いていたので、彼女の紹介をうけながら、子供用の靴やら文具品やらを渡した。
お話を聞いたご家族は幸いにも全員ご無事のようでなによりと思った。…が、なかなかメデタシメデタシという話はないようだ。
一つ目のご家族には、男の子用の靴と、肌着を。
また別なご家族は、母子家庭で、女の子用の靴、と文具品を。そして、友人の子供と、伺った仮設に住んでいた彼女のママ友さんの子供へ文具品を渡した。
何より喜んだのは、子供らだった。
ちょっと照れながらの子供の笑顔は、たまらなくキュンときてしまった(__;)
重ね重ね言われたのは、有難うございますの言葉でした。
そして、もらっても、なかなか合うやつがなかったから…子供の靴はすぐに合わなくなるから1足でも多くあると助かりますと…
仮設住宅にいる私の叔父は、『くれるっていうから、扇風機もらってきた』と言ったので、私は『すごいね~』と返した。
叔父は言った…
『何言え、全部流されでしまったんだぞ』
…返す言葉はありませんでした(__;)

物資のこと③
あくる日、自宅避難している友人のところへ向かった。
震災の日、車検場にいた彼女は、そこで地震に遭遇。
1歳半の息子を抱え、どうしようかオロオロしてたら『もうすぐ点検終わるから、やってしまうべし』と言われたらしい(@@;)
言葉通りまもなく終わり、家に帰ろうとしたんだけど、何故か家とは別方向に車を走らせたおかげで助かったんです…と、今だから笑って言えますけどね~と淡々と当日の話やら、なんやらしてくれました。
自宅避難している人らは、とにかくミルクやらオムツやら、足らないものを貰いに避難所に行くのが辛かったと言ってました。
『私には、家があるからなぁ…』
人の良いところ悪いところが一度に見えたのも、この震災がもたらしたことなのかもしれません。
彼女を始め、小さな子供がいての自宅避難のご家族へは子供の離乳食と靴をそれぞれ合うやつを渡しました。
家族は全部で5家族になります。
全て、私も行きたかったのですが、都合が合わない方もいたので、友人に託しました。
友人からの報告です。
1人は地元が同じなんですが買い物から丁度実家に帰ってきた直後に地震があって家も高い所にあるので逃げたりはしなかったそうです。松岩にあるアパートは跡形もなく流されて跡地にはトラックが転がっていたって聞きました。
仮設もようやく決まったけど建ててる途中なので実家でお世話になってる状況です。
またもう一人は地震あって直ぐ漁港近くにある保育園に息子さんを迎えに走ったそうです。
子供連れて逃げようとしたんですが既に渋滞していて全く動かなくて、その間に波が見えて夢中で走って崖をよじ登って助かった感じです。
その子は何日か前に事故られて首にコルセットをはめてましたが、逃げるのに邪魔で無理やり外して激痛だったそうですが必死に走ったそうです。
この子は同居しているので自分の家族が旦那さんの家にお世話になってるって言ってました。みんなで10人分位食事も作ってたみいです。だから、子供のモノは、本当に助かるって言って喜ばれました。
また別なところでは、靴を見た子供が『ハク~』って言ってすぐに履いて、その光景にみんなで笑ってきました(^-^)
子供には、本当、癒やされます。

物資のこと(ラスト)
最後に伺ったのは、気仙沼市内では、一番おおきな避難所だと思う、体育館へ向かった。
そこへもまた、友人の家族が身を寄せていた。
良いことも悪いことも、お互いが知っている情報のやりとりから始まり、あとは、彼女の話をひたすら聞いた…
避難所の中のこと、子供さんのこと、お母様の介護のこと、仕事のこと、自分の体調のこと…わかってあげられるなんて堂々とは言えない。けど、話すことによって元気になってくれるなら、それでも良いかと思い、行けるときは、彼女に会いに行っていた。
避難所では、自分のものに名前を書いていても、目を離したらすぐに無くなってしまうこともあったそうだ。
また、シャワー室もあったそうだが、沢山の人が使うから、すぐに髪の毛などが詰まり、犯人探し紛いのこともあったりしたらしいし…とにかく、絶えていた印象を受けた。
その避難所では、個人から個人への物資を持っていくのは可能だったので、彼女伝いに渡しました。
そこでは、前回同様にモコさんより北上市内の会社から提供をうけました化粧品のトライアルセット1箱と、靴数足、文具品を。
友人より預かった、夏服や、子供服を渡してきました。
化粧品の話をしていたとき、『いつ化粧したっけなぁ…』『この間はファンデーション、借りてつけたし(^-^;)』『化粧品買うよりも…』という話があった。
確かに、化粧品はあとまわしにされがちだったけれど、少しでも化粧品を使うことにより、何かしら、いままでの気持ちを取り戻してもらえたら嬉しいなぁって思った。
かくして、こちらでは、外部の人間は中にはなかなか入れないためにその友人を通して、避難所の方々に配っていただいた。
避難所での話は、沢山あったが、今となっては、もはや思い出になってしまうのだろうか…
いずれにせよ、沢山の方々の話を聞いたり、話したりしながら、互いに気持ちだけでも支えあいが出来たらなぁと思う。
そして、今回ご協力いただいた皆様に御礼申し上げますとともに、物資配布完了のご連絡が遅くなりましたこと、心よりお詫び申し上げます。
今回の件で、ひとりの力は小さいけれど、ふたり、さんにんと沢山集まればもっと大きな力になるということ…自分は独りではないということ、本当に様々なことを学びました。
沢山の方々に自分も支えられていることを忘れないように、自分の出来るところから、少しずつ長く、誰かの支えになれるように生きていきたいと思います。

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皆様からの支援金、このように使わせて頂いております。
今後もよろしくお願いします。
竹中真理さん、自身も被災なさってますが詳しい報告、ありがとうございました★