私が読者になっているブロガーさんの記事で、御花畑駅の売店が無くなっているという情報を知り、私も御花畑駅まで来て見ました。
確かに売店があったはずなのに、新しい改札になっているではないか!?違和感満載!!
以前この駅を訪れたとき、何処かのオジサンがワンカップ片手に売店のお姉さんに絡んでいたのを思い出します…
12時34分
鶴見行き上り列車に乗り込む。
それにしてもこの鶴見線、駅間の距離が非常に短い。
第2章 にて、鶴見線の改札業務は全て鶴見駅の鶴見線用改札で担っている旨を記載した。
鶴見線の車両に乗っていて、改めてその理由がわかった。
駅間が短いため、これでは車掌が車内で乗客全員の検札および集札を行うのは不可能なのである。
鶴見線の殆どの車両が3両編成であるからなおさらだ。
その駅間が短いのも手伝ってなのか、列車はゆっくり線路を走る。
スピードが重視される首都圏近郊の鉄道の中にあって、こんなにスピードの乗らない路線は、鶴見線をおいて外には無いのではなかろうか?
スピードに乗らない割には、隣の駅にはあっという間に到着してしまう。
浅野駅の鶴見方面への隣駅には降りず、さらにその隣駅で下車してみた。
「鶴見小野(つるみおの)駅」
相対式ホーム2面2線を有する駅。
鶴見駅からこの駅周辺までは、工業地帯の一画には入っておらず、住宅街になっている。
この駅の面白い所は、上下線のホームにそれぞれ異なった駅舎と出入り口があることだ。
ホーム間の移動は、駅のすぐ隣を通る道路に設置された踏切を使用する。
まるで路面電車の電停のようなイメージの駅である。
ちなみに私がこの駅で下車したのと入れ替わりで、結構な人数の人が鶴見行き列車に乗り込んでいった。
駅名の由来は、駅近辺の地名によるとの事である。
続いての駅だが、また徒歩で移動する事にする。
先ほどやり過ごした駅に戻るのだ。
ここで次の電車を待っているより、徒歩で移動した方が時間の短縮につながる為である。
全駅を回る為には、「徒歩移動」も重要な手段である。
駅前の道路を歩いていると、店舗やアパートがたくさん立地されているのが目立つ。
そのまま道路を歩いてゆくと、高速道路が高架上に走っている幹線道路まで出てきた。
この道路を渡ると、そこからは工場地帯らしい風景が見えてくる。
鶴見小野駅から15分くらい歩いて、工場が建ち並ぶ光景の中に隣の駅を見つけた。
一見有人駅っぽい佇まいの駅だ。
実際に昔は有人駅だったが、現在は無人駅である。
駅舎は現在、鶴見線営業所の乗務員の詰所として使用されているということだ。
この駅で運転手が交代する姿も見られた。
島式ホーム1面2線を有し、駅舎からホームに移動する際は構内の踏切を利用する。
なお先ほどの鶴見小野駅と、この弁天橋駅との間には鶴見線の車庫がある。
車内から、鶴見線の205系車両が留置されている姿を見ることができる。
鶴見駅からここまで来てようやく工業地帯を走る路線であることが認識できよう。
この駅名の由来は、駅の近辺に弁財天を奉る池があり、そこに赤い橋が架けられていたから、との事である。
13時05分
下り列車に乗って、次の駅に向かうことにする。
12時丁度
列車は定刻通り鶴見駅に向けて出発した。
海芝浦駅 から乗車した乗客は、東芝の社員と思われる人が若干名と、海芝浦駅を観光しに来て折り返す一般人が10名ほど。
海芝浦駅に来るときに通ってきたカーブを、今度は左に大きく曲がって行く。
カーブが終わったと思ったら、シーサスクロッシング分岐器にて、複線となる左側の線路に移動させられて、駅のホームに停車した。
この駅で下車してみることにする。
「新芝浦(しんしばうら)駅」
潮風のせいなのか?駅名標の塗装がボロボロに剥げ落ちているのが印象的だ。
相対式ホーム2面2線を有し、ホーム間の移動は構内踏切を使用する。
この駅で下車した人間は私一人だけであった。
この駅は、ホームに番線が割り振られていないようだ。
浅野・鶴見方面乗り場ホーム側に駅舎と上屋が設けられている。
ここも浅野駅 と同じく、窓口があったような形跡がある。以前は有人駅だったのであろう。
そして現在は、簡易Suica改札機と使用済み切符の回収箱が置かれてある。
まことに小さい駅舎だが、木造でなかなか味わいのある建屋だ。
鶴見方面ホームには小さいながらベンチも設置されている。
しかし海芝浦方面ホームは、小さな上屋しかなくベンチも無い。
確かに、この駅から海芝浦行き列車に乗る人など、皆無に近いであろう。
よって海芝浦方面ホームは、ほぼ下車専用ホーム状態になっているのだ。
しかしそのホームから、海芝浦駅と同じくホームの真下まで運河が迫っているのが見られるのである。
この駅の目の前には東芝京浜事業所の入り口があり、東芝へ来訪する者はこの駅で下車することになる。
前回の記事 で、海芝浦駅の敷地は東芝の私有地だという事を記載した。
そこからさらに付け加えると、この新芝浦駅と海芝浦駅の区間も、東芝の私有地となっている。
海芝浦駅に行く場合、この駅を過ぎればそこからもう事業所の構内になるのだ。
最後に駅名の由来だが、「芝浦製作所」(東芝の前身)の最寄駅である為。
しかし当時、既に「芝浦駅」が存在した為(現在は廃止)、冠に「新」が添えられた、との事である。
平日の朝夕にこの駅を利用する人は相当いると思われるが、私が訪れた日は日曜の正午近く。
この駅を訪れてから離れるまでの間、駅構内で人に会う事は無かった。
さて、次の駅に向けて移動しよう。
しかし、次の鶴見方面の列車は約2時間待たないとやってこない。
そんなに待っていられるわけがない。
ここで、阿房列車の旅で初めての移動手段を使用する。
それは「徒歩」である。
群馬阿房列車の旅 で、JRと上電の駅間を徒歩で移動したということはある。
しかし、同じ路線の違う駅に徒歩で移動するのは今回初めてとなる。
今は雨も一時小休憩状態である為、早速浅野駅に向けて歩き出す。
左側に巨大な工場、右側に線路と運河を見ながら進む。
天気が良ければ、もっと気持ちの良いウォーキングになるだろうに、少々残念だ。
歩いている途中、漁船だか荷船が運河を行きかう様子が見られた。
新芝浦駅から10分程で浅野駅に到着してしまった。
先ほど浅野駅で見た猫は、既にいなかった。
程なくして、2番線に鶴見行きの列車が到着した。
私はその列車に乗り込み、次に訪れる駅に向かう。
浅野駅 3番線に、下り列車が到着した。
ホームが大きく湾曲している為、車両とホームの間に大きな隙間ができる箇所がある。
ドアの位置によっては、注意を払いながら、大股を開くイメージで列車に乗り込む必要がある。
列車は浅野駅を発つと、海芝浦支線に入り、左手に運河と思われる川に沿ってゆっくり進んでゆく。
左手の運河の向こうにはヤマト運輸の巨大な倉庫、右手の道路の向こうにはJFEホールディングス関連企業の巨大な工場等が見られる。
運河の流れを見ているとあっという間に隣の駅に着いた。
この駅には後程下車してみる。
線路はこの駅まで複線。
そして、この先もしばらくは複線のように見えるが、旅客用の線路は、この駅の先から単線となる。
列車が進む道は、シーサスクロッシング形態の分岐器で、旅客用の線路と貨物用の線路に分けられるようだ。
運河と反対側に張られている線路は貨物専用となっているようだが、現在その線路は使用されていないのであろうか?
錆が目立つ。
列車は、駅を発車すると間もなく右に大きく、大きく、ゆっくりカーブし始める。
カーブの途中で、並走していた貨物用の線路は途絶えてしまう。
そしてカーブを曲がり切ったタイミングで、目の前には海が広がり、小さなプラットホームが姿を現してくる。
列車はスピードを落とし、停車位置を確かめるように、ゆっくり停車した。
到着したのは、海芝浦支線の終着駅
「海芝浦(うみしばうら)駅」
ホームに降りると、その眼下まで海が迫っている様子が伺える。
この駅は「日本一海に近い駅」としてしばしば取り上げられている。
その一方、一番海に近い駅は信越本線の「青海川(おうみがわ)駅」だという根強い意見もあり、鉄道ファンの間でよく議論のネタにされている。
この駅を訪れた時はあいにくの空模様であったが、天気が良いとベイブリッジ等が見渡せるそうだ。
さて、改札を出てみることにしよう。
するとそこには注意書きが施されていた。
「この先は東芝の工場敷地なので、関係者以外は改札を出られません」
実はこの駅、東芝京浜事業所の私有地内にあり、社員または関係者以外は改札を出られない。
駅の出口が、そのまま工場の入り口となっているのだ。
改札に人がいるが、彼らは駅員ではなく東芝の守衛である。
一般の乗客は、この駅から一歩も外に出られず、そのまま引き返すしかないのである。
近年、その一般の乗客の為に「海芝公園」なるスポットが開園されている。
ちなみに東芝の敷地内にある駅ということで、JRは東芝に借地料を支払ってこの駅を営業しているらしい。
このような非常に変わった要素を兼ね備えるこの駅は、「関東の駅百選」にも選定されるほど著名な駅なのである。
鉄道ファンでない人でも、この駅を知っているという人、或いはこの駅に訪れた事のある人は年々増え続けていると思われる。
この日も、この駅を訪問するだけの乗客が何人も見受けられた。
デートにこの駅を訪問するカップルも中にはいるのではないだろうか?
一風変わった駅をたくさん従える鶴見線だが、海芝浦駅はその極みであろう。
最後に駅名の由来だが、「芝浦」というのは東芝の前身「芝浦製作所」のことであり、この駅が海に面していることからつけられたそうだ。
列車は20分程で鶴見に折り返す。
この列車を逃すと、次の鶴見行き列車は2時間後。
2時間ずっと海を眺めているのも悪くは無いが、今はそんな余裕はない。
次は必ず、天気の良い日に訪れることを約束して、駅を発つことにする。
JR鶴見線は、横浜市と川崎市との境目にある『京浜工業地帯』を網羅する形で線路が張り巡らされている。
鶴見線の主な利用者は、沿線に存在する工場へ通勤する従業員達である。
もちろん工場地帯を走る路線という事で、貨物列車の扱いも盛んである。
そんな工業地帯を走る路線なんて、いかにも近代的な印象の路線なのではないか?
と思われるかもしれない。
しかし既に下車した国道駅 が、鶴見線の最初の駅だと分かれば如何なものか?
国道駅周辺はまだ工業地帯ではないものの、近代都市の風景への期待は自ずと薄まってゆくことだろう。
国道駅を出発した列車は、鉄橋にて鶴見川を越えた直後に徐々に勾配を下って行き、地上に着陸したとほぼ同時に隣の駅に停車する。
この駅、そしてさらに隣の駅をやり過ごし、国道から数えて3つ目の駅で下車してみた。
「浅野(あさの)駅」
島式ホーム1面2線と相対式ホーム2面2線を併せ持つ、変則的な駅だ。
この駅は、支線との分岐点となっているがために、このような構造になっている。
本線のホームが島式ホームで1、2番線。
支線のホームが相対式ホームで3、4番線が割り当てられている。
駅には、既に鉄道ファンと思われる先客がおり、せわしなく撮影を行っていた。
中には、小~中学校生と思われる少年グループもいた。
駅の入り口には窓口があったような形跡があり、駅舎は2階建ての構造になっていることから、昔は有人駅だったことが伺える。
現在の改札は、簡易Suica改札機と使用済み切符の回収箱が無造作に設置されているだけだ。
ホームからは、駅に隣接するコンビナートの姿を臨むことができる。
このような風景を見れば、工業地帯を走る路線であることは理解できよう。
しかし、赤錆びたコンビナートに近代的印象を求めるのは酷である。
国道駅といい浅野駅といい、どことなく昭和の匂いが漂ってくる。
これが鶴見線だ。
そしてこの駅の最大の特徴は、3番線ホームだ。
ホームに設置されている木造の上屋もさることながら、注目すべきはホームの形だ。
本線と支線に沿ってホームが扇状に広がっており、無駄に広大なホームになっているのである。
そんな広大なホームに、野良猫の姿が数匹見えた。
随分人に慣れた感じの猫たちだ。
この駅に訪れる人たちに、かわいがってもらっているのだろう。
最後に駅名の由来だが、鶴見臨港鉄道(鶴見線の前身)の設立者で、浅野財閥の創設者でもある浅野総一郎にちなんでつけられた、との事である。
次は、3番線から発車する列車に乗ってみた。
支線を走る列車を利用して、一つ目の終着駅まで行ってみようと思う。
今回、阿房列車の標的にされた路線は、
JR東日本の「鶴見線」
旅の目的は、鶴見線の全駅降り潰しである。
JR路線の全駅降り潰しは、今回が初めてだ。
鶴見線の路線総延長距離は9.7Km。
駅数は起終点駅を含むと13。
開業当時は「鶴見臨港鉄道」という民鉄であったが、戦時中に国鉄に買収された経緯がある。
その為、他のJR路線と比較すると、少し異質感のある路線なのだ。
この路線は、鉄道ファンの間では言わずと知れた人気の路線となっている。
鉄道ファンを喜ばせる要素が、この路線にはたくさんあるからだ。
まず本線の他に支線を2本持ち合わせており、3つの終着駅が存在するという点。
起点の鶴見駅を除くすべての駅が無人駅になっているという点。
主に沿線の工場で働く従業員を運ぶ為のダイヤが組まれており、日中は極端に列車の本数が少なくなる点。
ある事で「日本一」をうたっている駅が存在すること。
等が挙げられる。
そして鶴見線の一番の魅力は、大都市近郊を走る路線にもかかわらず、ローカル線の雰囲気を持つ路線だという事だ。
(路線は「地方交通線」ではなく「幹線」の部類に入れられている)
こんなに著名な存在の鶴見線を、改めて紹介するのは恐れ多い気がしてならない。
しかしここは個人的な解釈を交えながら、記事を執筆する次第である。
まずは鶴見線のホームとなる3,4番線に足を運ぶ。
すると、西口改札の横に、もう一つの改札がある。
この改札が、鶴見線の乗り換え口となる。
(画像は、2013年11月30日の様子)
同じJRの路線なのに、乗り換えに改札を通らなくてはならないとはどういう事だ?
とこの時疑問に思ったが、すぐに納得できた。
先ほども述べたように、鶴見線の駅は全て無人駅。
鶴見線の改札業務は、すべてここ鶴見駅鶴見線用改札で行われるのだ。
分かりやすく言えば、鶴見線改札口は、テーマパークの出入り口にあたるのだ。
鶴見線をテーマパークに例えるのは如何なものか?
という意見も出そうだが、鶴見線の面白味をテーマパークと照らし合わせるのはそれほど御門違いな事ではないかもしれない。
ホリデーパスを乗り換え口の自動改札機に通そうと思ったら、突っ返されてしまった。
ホリデーパスは自動改札に対応していた筈だが…
原因の分からぬまま、仕方なく有人改札を利用した。
3,4番線ホームは高架になっている。
4番線は朝夕のラッシュ時にしか使用されないらしい。
3番線には既に、205系の3両編成の車両が出発を待っていた。
10時30分
下り列車は定刻通り、ゆっくり発車した。
路線は海に向かって進む必要がある。
ところがホームは東海道線より北西の位置にあるので、その東海道線、そして京急本線の線路を跨いで越える必要がある。
その線路を跨ぐ陸橋の手前で、複線となっている線路の間に、ホームらしき構造物が見える。
これは、戦中に廃駅となった「本山(ほんざん)駅」の遺構である。
それにしても、廃止になって70年も経つ駅の構造物が未だに残されているとは驚く。
いきなり鶴見線の独特な雰囲気を味あわされることになり、気持ちも高揚してくる。
線路を跨ぐ為のトラス橋を渡ると、あっという間に隣の駅に到着した。
まずは、その駅にて下車してみる。
「国道駅」
「くにみち」
と読ませればいかにも駅らしい呼び名になるのに、残念ながら「こくどう」と読ませている。
相対式ホーム2面2線を有し、ホームは高架上に設置されている。
改札へは下り階段を使用する。
上りホームからの通路と下りホームからの通路が途中で合流し、1本の通路になって改札に向かっている。
改札には簡易Suica改札機のみ設置されている。
そこを抜けると高架の真下に出るが、そこはなんともノスタルジックなガード下の雰囲気が漂っている。
昭和時代から時の流れが止まっているような空間。
居酒屋や釣り具屋だろうか?数店の店構えがあり、開店以来何十年も店を続けているように思える。
ちなみにこの「国道駅」の名前の由来は、鶴見線と京浜国道(国道15号)との交点にあることから。
つまり、国道がそばにあるから国道駅となった。
そんな由来なら、いったい日本全国いくつの駅が「国道駅」になってしまうのだろう…
などと突っ込んでしまいそうだ。
ホームで次の列車を待っていると、いきなり踏切の警報音が鳴り始めた。
高架の上に踏切でもあるのか!?
しかしこれは、列車の接近を知らせる警報音だった。
それにしてもこの鶴見線、出だしからいきなり楽しませてくれた。
幸先の良いスタートだ。
第6旅 、第7旅 と、最近の阿房列車は、山並みを走る路線の運行が続いてきた。
たまには海を臨む路線に阿房列車を走らせたい。
そして、どうせなら秋晴れの中で海の車窓を臨んでみたい。
しかし…
ここのところ、週末は必ずと言っていいほど雨にたたられている…
「女心と秋の空」という故事ことわざがある。
江戸時代は「男心と秋の空」という風にうたわれていたらしいが、
明治に変わり、西洋文化が入り込んできたことにより「女心」を枕詞にしたことわざも作られてしまった。
そして時が経つにつれ「男心」の方は世間から忘れ去られたという、御婦人方には非常に気の毒な歴史がある。
男にしろ女にしろ、心変わりが早いということをうたった言葉だが、その例えに秋の空が利用されるほど、秋の天気というものは当てにならない。
そういう前提をおけば、「秋晴れ」という言葉は、ただ秋の快晴を示す言葉だけでなく、非常に貴重なものの例えにも使えるのではないか?とも思えてしまう。
しかし実際に、非常に貴重な体験をしたときに「秋晴れのような体験をした」という人などいない。
独り言はこの辺で留めておく。
とにかく、雨の中で目当ての路線には乗りたくない。
しかし阿房列車は走らせたい。
仕方がない。
少々の心の葛藤の末、第一候補ではないが、前から気になっている路線に阿房列車を走らせることにした。
初めての、雨の中の阿房列車の運行となる。
平成23年11月6日(日)
今回は、土日祝日に東京近郊のJR普通列車が乗り放題になる「ホリデーパス」を使用する。
1枚2300円。これは青春18きっぷの一回分の値段と同じである。
しかも特急料金を払えば、有効区間内であれば東北・上越新幹線を含む特急にも乗れるのである。
この点は、18きっぷより融通が利いて嬉しい。
※「ホリデーパス」は平成24年3月11日に廃止となり、3月17日から後継商品として「休日おでかけパス」が発売されている
最寄りの本庄駅は、ホリデーパスの有効区間外となるので、まずは熊谷駅まで移動してからホリデーパスを購入する。
熊谷から、高崎線~京浜東北線と乗り継いで、鶴見駅まで移動。
鶴見駅は川崎と横浜の中間にあり、東海道本線に所属する駅である。
しかしこの駅での乗降は京浜東北線でしか行えない。
中距離を走る東海道本線の車両は、この鶴見駅を通過してしまう。
鶴見駅は、当時大幅な改修工事が行われていた。
鶴見駅の看板も即席のものが取り付けられていた。
鶴見駅は、新橋~横浜間に初めて鉄道が走った次の日(1872年10月15日)に開業されたという、由緒正しき歴史を持つ駅である。
改札内外それぞれに横浜名物「崎陽軒」の売店も設置されているが、この駅を利用する人(乗車人数)は1日7万を超えるというから、売れ行きもかなりのものだろう。
実はこの鶴見駅には、東海道本線の他に乗り入れている路線が数本あるのだ。
それは武蔵野線と南武線(支線)。
といっても、その2本は旅客用路線ではなく、貨物用路線の扱いである。
貨物用路線という観点からすると、東海道本線とは実に4本もの支線と関わりを持っている。
ここまでの説明を聞いただけでも、鶴見駅はいかに重要な役割を抱えている駅か、お分かり頂けると思う。
そしてその他に、この鶴見駅が起点となっている旅客用路線が1本存在する。
その路線こそ、今回阿房列車にされてしまった路線だ。