第10旅第2章:霊峰「高野山」への道 | もこ太郎の平成阿房列車

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「こうや」が難波駅を発った直後、右側に巨大な建物が見えてくる。
これは「なんばパークス」と呼ばれる、かつての大阪球場の跡地に建設された複合商業施設である。

大阪球場といえば、ソフトバンク・ホークスの前身である南海ホークスの本拠地であった。
大阪と和歌山を結ぶ南海電鉄が所有する球団という事で、地元大阪に南海ファンが数多くいたが、和歌山の人で南海ファンだった人は、私の周りにはいなかった。
私の周りにいたのは、阪神ファンがほぼ半数、巨人ファンがほぼ半数(関西でも巨人ファンはかなりの人数を占めていると思われる)、その他球団のファンがわずかにいたくらいであった。
かくいう私は、幼少の頃から巨人ファンであった。しかしFA制度が取り入れられてからの、巨人フロントのやりかたに疑問を持ち始め、私と同い年の松井秀喜が巨人を抜けたタイミングで、完全にアンチ巨人ファンになってしまった。


話が大きく逸れてしまったが、そのなんばパークスの前を横切るのは、「こうや」と同じ8時丁度に難波を発車した特急「ラピート」であった。
彼の車体に朝日が突き刺さり、真っ青なボディに白い光沢が加えられるが、そんな事は知ったこっちゃないという勢いで、関西国際空港に向かってひた走ってゆく。

私の乗車した「こうや」は、ほんの数分だけ「ラピート」と並走する。
序盤で面白い眺めといえばこのくらいで、天下茶屋駅で「ラピート」と別れた後は、ビルや住宅が立ち並ぶ、見所など何も無い車窓を写しながら、しばらく高架の上を走り続ける。


難波を発ってから30分足らずで、近鉄長野線と接続する、河内長野駅に停車した。
この辺りから、車窓は今までのつまらない風景とは一変、のどかな山景色を映し始める。
トンネルやカーブも多くなり、列車はいよいよ和歌山県に入ろうとしている。


大阪府と和歌山県は、東西に連なる紀伊山脈により分断されている。
私の生家のある和歌山市は、和歌山県の最も北西に位置する市である。
鉄道で大阪方面から和歌山市に移動する方法は、南海本線を使用する場合と、JR阪和線を使用する場合の2つ。
どちらのルートも、和歌山県に入る際には山を越える必要があり、おのずと険しい山間(やまあい)の中を抜けなくてはいけない。
しかし、苦労して山を越えるとそこには平野が広がり、市内を流れる紀ノ川の、河口にほど近いところまで来ると、ああ、故郷に帰ってきたな、という感覚になる。

阪和線と南海本線が和歌山市に向かう路線であれば、
高野線は、和歌山県の最も北東に位置する市、橋本市に立ち寄り、そのまま高野山まで向かう路線となっている。

「こうや」が紀伊山脈を越える直前、越えている最中、越えた後と、それぞれ和歌山市に向かう時と同じ感覚を覚え、懐かしさが湧いてくる。

山を越え、景色が開けてきたと思うと、列車は大きく左にカーブし始め、前方右側にJR和歌山線の高架が姿を現す。
その和歌山線の線路と平行に進むようになったと思った途端、橋本市の中心となる駅、橋本駅に停車する。
難波を発車してから40分余り経過していた。


この駅で「こうや」は数分の休憩を取る。
まるで、これからの険しい道を駆け上がる為の力を蓄えているかのように。
高野線の面白さは、ここから始まるのだ。


橋本駅を経つと、高野線は単線になる。
ここから終点の極楽橋まで、ノンストップで挑む。

列車は右にゆっくり旋回しながら、和歌山線の高架下をくぐり、国道24号線の高架下をくぐり、紀ノ川に架る鉄橋を超える。
列車はさらに右旋回を続け、ようやく直線に入ったかと思うと、すぐさま大小のカーブを、車体を左右に揺らしながらやり過ごしてゆく。


車窓は、しばらくは農家が建ち並ぶ、のどかな風景を映し出してくれる。
しかし九度山駅を過ぎたあたりから、山間深い景色が流れ始める。
進行方向左側を見ていると、10パーミル代、20パーミル代の上り勾配標が、当たり前のように次々と流れていく。
カーブも途切れる気配など一向に見せず、レールと車輪の擦れ合う音がけたたましく鳴り続ける。
こんな酷道が続けば、いくら特急と言えども、スピードを生かすことなど不可能である。

そして、高野下駅を通過した途端である。
私は勾配標を見て目を疑った。


そこには「50パーミル」の表記。


25パーミルで「急勾配」と呼ばれる鉄道の世界で、この勾配は異次元の世界だ。
高野線は、まさに日本を代表する登山鉄道の1つだった。

随分高所まで登ってきたところで、車内には、高野山の歴史を紹介するテープが流れ出す。
しかしそんなものには目もくれず(耳もくれず?)、私は車窓を楽しみ続ける。


今日は快晴である。
晩秋独特の、角度の低い日光が、紅葉も終わりを迎え、落葉が始まっている木々の間から差し込んでくる。
と思っていたらトンネルに突入。
そのトンネルを抜けると、再び光と影がまだらに車内に差し込んでくる。
景色は目まぐるしく変化するが、上り勾配を、きりの無い大小のカーブをやり過ごしながら進むのは変わり映えしない。終点まで、この様子だ。


橋本を発ってから30分余り。
今までスピードを殺しつつ進んできた列車が、さらに速度を落とし、極楽橋駅に到着した。
3面4線櫛形ホームは、いかにも終着駅の様相を呈している。

ホームから真っ直ぐ進むと、駅の出入り口にたどり着くが、「こうや」から下車した乗客のほぼ全員が、出入り口の手前を右折して、渡り廊下に向かう。
私も彼らについて行くことにした。

渡り廊下を渡りきった先には、「こうや」と同じカラーリングが施されたケーブルカーが出発を待っていた。





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