全国の鉄道のスイッチバックを紹介する、このようなタイトルのホームページがある。
このホームページの管理人は江上英樹氏。
漫画「鉄子の旅」が掲載されている月刊IKKIの編集長であり、ビートルズファン並びに鉄道ファン。
特にスイッチバックに関しては相当な愛着があるらしく、「スイッチバック鉄」と言っても過言では無いだろう。
ちなみに氏は、「新・鉄子の旅」では毎回登場している。
その無類のスイッチバック好きが高じて、このようなホームページを作成するに至ったらしい。
確かに鉄道ファンにとって、スイッチバックは非常に魅力的な要素の一つである。
ひたすら終着駅を目指して前に進む列車が、途中で停止するだけにとどまらず、今来た道を引き返すという行為を、予備知識無く行われたら誰でも「えっ?」と驚いてしまうのではないだろうか?
これに興奮を覚えるのが鉄道ファンである。
スイッチバックする列車に乗っていても楽しいし、スイッチバックする列車を眺めるのも楽しい。
私に限っては、引き込み線や、X字にクロスしている線路を見るだけでも楽しめるのである。
私も初めての旅の時に訪れた、篠ノ井線の姨捨駅 と桑ノ原信号場、そして信越本線の二本木駅にはすこぶる興奮したのを思い出す。
しかし今日の鉄道技術の発達と反比例して、全国からスイッチバックが徐々に無くなっているのが現状である。
もともとスイッチバックは、急勾配を非力な列車が登る為に工夫された手段である。
しかし、技術が向上し、列車がパワーアップするにつれて、スイッチバックの存在自体が意味を持たなくなってきているのである。
最も顕著な例が…
20年以上前までは、連続する4つの駅全てにスイッチバックがあったのだが、新幹線がその路線を走ることになり、4つのスイッチバック全てが廃止になったという路線がある。
それは、JR奥羽本線。
その中で、福島~山形~新庄間を結ぶ「山形線」という愛称で呼ばれている路線の、
さらに福島~米沢間の、板谷峠を越える区間。
横川~軽井沢間の碓氷峠と並ぶ難所とされていた。
スイッチバックは無くなっているが、4つの駅全てにスイッチバックの遺構があるらしい。
今回の旅の目的は、その4つのスイッチバック跡全てを巡ること。
そして4つの駅のうちの一つは、私がずっと憧れを抱いている駅であり、その駅に訪れること、どちらかというと、後者の方が真の目的と言えよう。
2012年8月16日
早朝から厳しい日差しを受けつつ、18きっぷを利用して高崎線で一路大宮へ。
大宮からは東北本線に乗り込み、鈍行でひたすら北を目指す。
車内は以外と混み合っている。
新幹線を使わないとなると、みんな18きっぱーなのか?と錯覚してしまう。

宇都宮、黒磯、郡山で乗り換えを行い、福島に到着した時はすでに正午を過ぎていた。
ここからいよいよ山形線の在来線に乗り込む。
ある地図で山形線を見てみると、そこには「山形新幹線」と書かれたものが存在する。
今や山形線は、山形新幹線「つばさ」がメインで走っており、新幹線のダイヤの隙間をうまい具合にすり抜けて在来線が走る。
よって在来線の本数は自ずと少なくなる。
福島~米沢間の在来線に限っては、1日6往復という有り様だ。
(米沢~山形間、山形~新庄間の在来線の本数はもう少し多い)
しかしこれが限界であろう。
そしてこの山形線は、新幹線と在来線が同じ線路の上を走るのである。
よって、在来線の車両も標準軌でなければならない。
山形線の在来線の車両は、標準軌仕様なのである。
米沢行き普通列車は定刻通り福島を出発した。
線路は左にカーブしたかと思ったら、高架から降りてきたレールと合流する。
おそらくこの高架のレールは、新幹線用のレールなのだろう。
列車が福島から2つ目の駅「庭坂」を過ぎてから、車掌が車内検札を開始した。
この先は無人駅が続くのであろう。
そして間もなく、列車は最初の目的地に停車する…
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