琴平発阿波池田行き、1両編成のワンマン気動車は、定刻通り闇の中を走り続ける。
塩入、黒川、讃岐財田と停車する度に、乗客は少なくなっていく。
讃岐財田を出発すると、車窓は漆黒の闇に包まれた。
長いトンネルを抜けた瞬間、進行方向右側に、小さな光が見えた。
そして列車は大きくスピードを落とし、明らかにポイントを通過した時の揺れを起こした。
列車は引き上げ線に入り、完全停車。
運転手が後方の運転席に移動する。
私も運転手の後をつけるように、車両の後方へ移動する。
幾重にも並ぶクロスシートに、人影は感じられない。
乗客は私独りらしい。
列車は今来た線路を引き返し、さっき見た小さな光に向かって、ゆっくり、ゆっくり進んで行く。
ポイント通過の揺れを何度も感じながら、列車は引き込み線に入り、小さなホームと小さな駅舎が見えてきた。
いよいよだ
列車は停止した。
私は運転手に18きっぷを見せ、「ありがとうございました」と言って、ここで降りる旨を伝えた。
運転手は苦笑いしながら、何か一言私に声をかけたが、私は興奮のためその一言がよく聞き取れなかった。
「気をつけて」などと言ってくれたことにしておこう。
「開」ボタンを押してドアを開け、ついに私はホームに降り立った。
「坪尻(つぼじり)」駅

私が今のように完全な鉄ヲタになる前からその存在は周知していた。
四国はおろか、西日本最高峰の秘境駅。
ホームに降りた途端、周りは真っ暗であるにも関わらず、ここは異次元の世界だという雰囲気が嫌でも伝わってくる。
私が乗ってきた列車は、特急列車が通過するのを待ってから、阿波池田に向けて出発した。
私は列車を見送った。
列車が去った後は、虫の音だけが残った。

小さな待合室になっている駅舎の中を抜け、駅前広場(と言うより、草が生い茂った原っぱ)に出てみると、
野犬?狸?
4本足の獣がその場を去っていった…
(後の調査にて、駅周辺には野生の猪がよく出没することが判明した)
…今夜は駅周辺の探索もやめて、おとなしく駅の中で一夜を過ごしたほうがよさそうだ…
次の日の早朝まで列車の来ないホームに足を投げ出し、腰掛ける。
夜空を見上げると、あまり星は見えない。
駅舎の照明の明るさが邪魔しているのだろうか?
腰掛けながら、私は物思いにふけった。
こんな駅でも、噂によれば定期的に利用する人がいるらしい。
よって、この駅は存在する意味があるのだ。
私は、存在する意味があるのか…?
ふとそんなことを考えてしまい、心の中でいろんな葛藤が始まる。
何故か涙が溢れ出てくる…
せっかく、憧れの場所にきたはずなのに…
いや、憧れの場所が、私を優しく包んでくれているからなのであろう…
本当にやって来たんだ
憧れの地、坪尻に…
全国の鉄ヲタ達には悪いが、今夜は、鉄ヲタのトップアイドル的存在のこの駅と共に、至福の時を過ごさせて頂く。
待合室には、駅スタンプの他、漫画「鉄子の旅」の単行本が置かれていた。
しかし、この坪尻駅を掲載している第2巻の姿が無かった。

シュラフに身を包み、待合室入り口の両脇にあるベンチに身を横たえる。
一晩中点灯されている室内の電灯が気になりながらも、いつの間にか眠りに落ちた。
7月24日
夜が明けた。
駅舎の中からホームに出てみる。

凄まじい光景だ…
前を向いても後ろを向いても、今にも山が襲ってきそうである。
この駅は、谷底に位置するんだということがよくわかる。
駅周辺に民家が無いのは一目瞭然だ。
スイッチバックの引き込み線に沿って、必要以上に長いホームが添えられている。
駅舎の中はコンクリートで舗装されているが、駅舎の外観は、味わい深い木造の建物。
何にもない山奥の中に、この建物があると本当に山小屋に見えてしまう。

駅に通じる道は、道とも言えないような、酷い獣道しかない。
とりあえず線路を渡ろうとすると、ご丁寧に列車の通過時間が記された時刻表が掲げられていた。

私は線路を渡りその獣道を進んでみることにした。
程なくして、廃屋が見えてきた。

かつてはここに人が暮らしていたのであろうか?
廃屋の脇に、比較的新しめの自転車が放置されているが、かつてはこの自転車で獣道を行き来していたのであろうか?
獣道を100メートルほど進んで、あまりの道の荒れように、身の危険を感じて引き返した…
駅のトイレに向かったが、入り口まで来た瞬間、トイレを利用したいという気持ちが消えてしまう。
無事に用がたせる自信がなくなるからだ。

そうこうしているうちに、始発列車がトンネルから姿を現してきた。
残念ながら、お迎えが来てしまったようだ。

スイッチバックでホームに入線してくる様子が非常によくわかる。

ここを去るのは非常に名残惜しい。でも必ず、必ずまた来る。

ありがとう、坪尻



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