第18旅序章:四国上陸 ~夢を叶えに~ | もこ太郎の平成阿房列車

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私が行った鉄道の旅をレポートさせて頂いています!
私のブログをお読み頂いて、鉄道の旅に興味を持って頂けたら幸いです!


『夢は見るものでなく、叶えるもの』


ロンドンオリンピック銀メダルに輝いた、「なでしこジャパン」沢穂稀選手の、座右の銘とされている言葉である。
沢選手ほどの世界レベルの夢ではないが、2012年の夏、私の小さな夢を叶えてきた。

ちなみに私の座右の銘は、私の実体験から生まれた言葉
『列車に飛び込むその前に、列車に飛び乗って旅をせよ』
である。



7月22日に、18きっぷを利用して故郷の和歌山に帰省。
そのついでに、翌23日から一泊二日の行程で四国に向かった。


目的は、四国にある憧れの駅を訪れること。


23日昼過ぎに和歌山駅を出発。
阪和線→大阪環状線→東海道本線→山陽本線と乗り継ぎ、岡山には夕方到着した。
岡山から瀬戸大橋線経由の快速マリンライナーに乗り換え、いよいよ海を越える。

幼少の頃に、家族旅行で四国に行ったと言うのは、家族から聞いたことがある。
しかし、あくまで聞いた話であって私の記憶には、四国というイメージは全く残っていない。
当時は瀬戸大橋も開通していなかったであろうから、フェリーで四国に渡ったのであろう。
しかしその記憶すら無いのである。
よって、今回の旅は実質初めての四国の旅だと言える。
自ずとテンションが高まってくるのはどうしようも無い事だ。

夕日を浴びた瀬戸内海の上を、通勤通学客を乗せた満員列車が走る。
今でこそ何でもないような光景かもしれないが、冷静に考えれば凄まじい技術である。

本州と九州、或いは北海道をトンネルで繋ぐのも大した技術だか、橋を渡して本州と四国を鉄道で結んでしまわれては、日本の技術がどこまで進歩してゆくのか、凡人の私ではもはや計り知ることができない。

橋を渡り始めて10分余りで四国に上陸。
それからはいかにも近代的な高架の上を走り続ける。

風情というものをあまり感じることができないまま、列車は四国最初の停車駅、坂出に到着。
私は一旦ここで下車した。



単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線を併せ持つ駅。
瀬戸大橋線が開通し、マリンライナーが運用されるようになって以降、四国の玄関的存在に成り上がった駅である。
非常に歴史のある駅の割には、高架上にホームがあり、近代的なイメージが拭えない駅だ。



この駅の所属路線は予讃線だが、高知方面への土讃線直通列車もこの駅から出ている。
その土讃線経由の、琴平駅行き快速「サンポート」(ただし坂出~琴平間は各停)に乗り換える為に下車したのである。





あまり駅の周りを散策することもなくすぐに列車に乗り込む。


こんぴら山で有名な、琴平に着いたのは19時23分。



四国は関東より日の入りが遅く、外はまだ真っ暗ではなかった。
たが、琴平駅の立派な駅舎をはっきり拝むことはできず、薄暗い中に光る「琴平駅」の電飾の文字だけが目立っていた。



漫画「鉄子の旅」で、この電飾が「パチンコ屋みたい」と紹介されていたのを思い出す…

JR琴平駅から歩いて数分のところに、琴電琴平線の琴電琴平駅がある。
こちらも立派な駅舎を構えるが、暗いためこちらもあまりその姿を拝めなかった。

JR琴平駅前であるが、日中は観光客で賑わうことであろうが、平日の夜ということもあり、随分ひっそりした印象だ。

駅構内の小さな売店で缶ビールとツマミを買い、小さなコンコースにあるベンチに腰掛けビールを煽る。



普通列車の最終列車阿波池田行きは、4番線で出発を待っていた。
私はその車両に乗り込む。
列車は1両編成のワンマン気動車。
土讃線は、この琴平駅以北は電化区間、以南は非電化区間となる。



20時20分。
乾いたエンジン音を唸らせて、列車は走り出した。


乗客は私を含めて数人。


列車は、闇へ闇へと進んで行く…


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