「江ノ島電鉄阿房列車」のレポートの最中ですが、ここで割り込みさせて頂きます。
先日、私が過去に書いた記事に1つのコメントを頂くことができました。
私が「新幹線が嫌いだ」という旨を書いた記事と、それに対するご意見。
第4旅「群馬阿房列車」第2章 の記事です。
とても真剣にコメントして頂けたのがよく分かるような内容です。
私がブログを始めてから、一番ありがたいコメントだったかもしれません。
まずはこの場を借りて、お礼を申し上げたいと思います。大変ありがとうございました。
そして、この大変貴重なご意見に対して無視するなんてことはできないと考えました。
コメントで回答するにはあまりにも長文になってしまう恐れがあった為、新たな記事を起こして私の回答を述べたいと思います。
ここでは、その時の記事やコメントを転記するのは控えようと思います。
ですので必ず先に、過去の記事とそれに対するコメントをお読みになった後で、以降の文章をお読みくださるようお願い申し上げます。
akihiroさん、
あなたがおっしゃったことは全て正論です。
私が初めてあなたのコメントを拝読した時、あなたのご意見に対して頷くことしかできませんでした。
あなたのコメントを素直に受け止めることができる理由は、私もただやみくもに新幹線を毛嫌いしているわけではないからです。
今日の日本の発展があったのは、新幹線がその1つの要因になった事は私も十二分に理解しているつもりです。
私も幼少の事は、「夢の超特急」新幹線は、憧れの存在でした。
私のプロフや過去の記事にも記載しましたが、私の小さい頃の夢は、新幹線の整備士になる事でした。
私がまだ幼稚園に入園する前くらいの頃、新大阪駅の新幹線ホームまで親戚を見送りに行ったとき、0系新幹線のシートに座って「このまま乗って行く!」と駄々をこねたことがあるそうです。
(親戚との別れを惜しむのではなく、ただ新幹線に乗りたいという願望の為…)
そして今でも私は、新幹線には大いに興味を持っているのです。
E7系や、北海道新幹線の動向が気にならない、と言ったら嘘になってしまいます。
私が生きている間に、一度はドクターイエローの雄姿を臨みたい、とも考えています。
あなたのおっしゃる通り、上越新幹線の開業は、新潟県民の生活を画期的に変えた事でしょう。
それまでは「知る人ぞ知る」といった印象の観光地、越後湯沢も現在では新幹線のおかげで、東京から気軽に訪れることができるメジャーなリゾート地へと変貌しました。
今の新潟県民にとって、上越新幹線は無くてはならない存在であることは、まぎれもない事実です。
私もあなたと同じ意見です。
「新幹線は必要です」
ここまで言っておいて、私は心底新幹線を好きになる事はできません。
私が新幹線を嫌いになってきたのは、鉄道マニアになってからです。
新幹線が嫌いになった理由は、何度か過去の記事に記載しました。
ここでは、さらにつっこんだ持論を述べようと思います。
新幹線は、撮り鉄や車両鉄にとっては、非常に魅力的な存在でしょう。
しかし、私のような「乗り鉄」という人種にとっては、非常に厳しい乗り物なのです。
青春18きっぷでは新幹線に乗れないのは、云われなくてもご存知な事でしょう。
そもそも18きっぷとは、ただ単に鉄道を乗り放題にするのではなく、その名の通り鉄道を通じて「可愛い子に旅をさせる」為のアイテムであると、私は思っています。
昨年の春、私は甥っ子の高校入学のお祝いに「青春18きっぷ」を送ったほどです。
残念ながら、新幹線はその「旅」の対象から外されてしまっているという事なのです。
そして、時刻表をご覧になってください。
在来線の時刻表は、幹線であると(例外もありますが)鈍行、快速、特急が入り乱れ、見どころがたくさんあります。
地方交通線は、スカスカなダイヤを見て哀愁を感じることもしばしばです。
しかし新幹線の時刻表は、特設ページに無機質にダイヤが記されているだけ。
駅数も少なく、面白味があまり感じ取れないんです。
乗り鉄の神様的存在の宮脇俊三先生も、新幹線はあまりお好きではなかったようです。
その様子は先生のいくつもの作品に赤裸々に記載されております。
印象的なのは、先生の「新幹線は乗るものではなく、乗らされるものだ」という言葉。
私は、先生のこの言葉を知る前から自分で同じようなことを考えていました。
まさにこの言葉は、「新幹線と乗り鉄」を語るうえで外せない言葉です。
「変人の偏屈」だと言われればそれまでです。
しかしこれを私の回答としたいと思います。
どなたでも構いません、また記事に対するご意見を頂けたら大変光栄です。
取り留めなくなってしまいましたが、最後までお読み頂き大変ありがとうございました。
これからも、私のブログ「もこ太郎の平成阿房列車」を宜しくお願い致します。