間藤の小さなホームから、桐生方面と反対の方角を覗いてみる。
100メートルほど先方に、草むらに覆われた車止めが、辛うじて見られる。
間違いなく、間藤は終着駅なのである。
しかしよく見ると、その手前の線路の脇に不自然なものが設置されている。
「26.7」と書かれた標識。
これは勾配標で、それが立てられている地点から先は、平坦地から坂道、またはその逆、あるいはそこから勾配の角度が変わることを示すものである。
それに書かれる数値は、勾配の大きさを千分率(「パーミル(‰)」と呼ばれる)で表したものである。
そして、柱から板が真横に張られていれば、そこからは平坦(その場合、標識の記載は必ず「L」となる)、柱から上方向に張られていれば上り勾配、下方向に張られていれば下り勾配をそれぞれ表す。
間藤駅にある標識の意味は、ここから1000メートル水平に進むと、267メートル上に昇る計算になりますよ、ということである。
鉄道は一般的に道路より勾配が緩いため、パーセントではなく、この単位が扱われている。
それはそうと、なぜ不自然なのかというと、線路がこの先に無いにも関わらず、勾配を示す標識が立てられている事である。
普通ならば終点より先の勾配を示す必要なんて無いはずだ。
かなり勿体ぶってしまったが、国鉄足尾線時代は、間藤駅より先に線路が続いていたのである。
話によると、今は廃線となった箇所に、当時の遺構が多々存在するとの事。
この勾配標も、いわば遺構の1つとなる。
この先にある遺構を見届けるために、間藤駅から、県道を徒歩で北上する。
歩き始めて程なく、踏切の跡を見つけた。
見つけたというよりも、これでは自然と目に入ってくる。
道路の上の線路や遮断機は撤去されているのに、警報機はそのまま残されてしまっている。
これでは、この道を初めて車で通った人は、必ず一時停止してしまうのではないだろうか?
警報機の脇に立ち、左右を見てみると、道路にあった以外の線路は残されていた。
線路はかなり錆びている。何年このままの姿で放置されているのだろう。
間藤より先の方角の線路の手前には、有刺鉄線が張られていて立ち入りは禁止されている。
さらに足を延ばす。
標高の高い場所で、午前10時という時間帯でも、快晴の日差しはそれなりに厳しい。
持っていた白いハンドタオルを頭にターバン状に巻きつけ、少しでも暑さを和らげる。
暑いとはいえ、歩む道の脇を流れる川の清流を見ていると、心に冷涼感が漂う。
川の向こう側や、川の流れる反対側を見てみると、そびえる山々にはまだ地肌を見せている箇所があるものの、深緑の木々達が生い茂っている。
道の脇には民家が隣接しているが、非常に静かで、長閑な雰囲気だ。
しかしこの清流も、昔は鉱毒に犯され、公害の原点として扱われていたはずだ。
山々も、もともとはもっと禿げあがって荒涼な景色だったであろう。
今の美しい景色を取り戻す為の、自治団体や地元住人の並大抵ならぬ努力があったに違いない。
我々は、その努力を無駄にしてはならない。
足尾は昔と違い、確実に良い町になっている。
20分程歩いてきたであろうか?
道の上を大きく跨ぐ鉄橋が見えた。
その鉄橋の下を潜ると、傍に坂道があり、鉄橋のすぐ近くまで行けるようだ。
私はその坂道を駆け上ってみる。
すると、鉄橋の上の線路が見えたと当時に、閉鎖された、大きな工場の入り口のような場所の前に私が立っていることに気付いた。
そう、ここが目的地、足尾本山駅跡である。
足尾本山は貨物専用駅で、駅構内の施設で鉱物の精錬作業が行われていたらしい。
最前期には、精錬された鉱物は足尾本山駅からひっきりなしに、貨物列車によって運び出されていたことであろう。
駅跡は現在、ある会社の管理下にあるようで立ち入り禁止になっており、閉鎖された入り口の門の前からでしが構内を見渡すことができない。
それでも、広大な敷地にある巨大な廃墟となった建物や、いまだに撤去されていない、張り巡らされた線路を見ることが可能である。
川のせせらぎと廃墟…
この不釣り合いな組み合わせに、改めて虚しさを感じる次第であった。
ちなみに足尾本山駅周辺では熊が出没するらしく、注意書きが掲げられていた。
足尾本山駅のすぐそばには、現存する日本最古の鉄製道路橋「古河橋」もあった。現在この橋は通行禁止になっている。
廃駅見学も終わり、間藤駅に戻ってきた。
上り列車が来るまで、少し時間がある。
待合室で少し休憩させてもらうことにする。
すると、待合室の中に、ある紀行作家に関する物品が展示されていた。
作家の名前は宮脇俊三。
氏はこの間藤駅にて、国鉄完乗を達成したとの説明書きがあった。
私はこの時、特に氏について何の興味も持たなかった。
JRを完乗する人なんて、今更いくらでもいるだろうに…
しかしこれが、今後の私に多大な影響を与えることになる氏に初めて出会った瞬間であった。
10時57分。
折り返し桐生行きとなる列車が、ホームにゆっくり入線してきた。
この列車には、先ほどの列車のような、群馬DCのヘッドマークは付いておらず、わ鐵オリジナルと思われるヘッドマークが付いていた。
列車は30分程停留した後、桐生に向けて出発した。
この日は朝も早かったので、この時点でかなり空腹を感じていた。
その空腹を満たしてくれる、ありがたい駅が次の目的地だ。