第2旅第2章:渡良瀬川の渓谷を突き進む | もこ太郎の平成阿房列車

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私が行った鉄道の旅をレポートさせて頂いています!
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桐生(きりゅう)駅は群馬県内のJRの駅としては最東端に位置しており、島式ホームを2つ有し、1番線から4番線まで存在する。
全てのホームは高架の上に設けられており、コンコースには売店も有りと、割と大きな印象を受ける駅である。


今回の目的の路線「わたらせ渓谷鐵道」は、1番線が発着ホームになる。


ホームで待っていると、1両編成の銅(あかがね)色の気動車が、ディーゼルエンジンを唸らせながらゆっくり入線してきた。
車体の前部には、群馬DCのヘッドマークが掲げられている。


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車両の入り口付近に立っている車掌に「ぐんまワンデーパスSP」を提示し、早速車両に乗り込む。
1両編成の列車(この場合「列車」とは正しい表記になるのだろうか?)に乗るのは、生まれて初めてかもしれない。



この列車で、終着駅の「間藤(まとう)」まで向かう。



車両に乗ってすぐさま、進行方向右側のクロスシートを陣取る。
この戦法ついては学習済みだ。理由は後ほど述べる。


わたらせ渓谷鐵道は、元は国鉄足尾線であり、足尾銅山から産出される銅の輸送の為にひかれた路線として、日本国内でも最重要な産業路線の一つに挙げられていた。
しかし足尾銅山が閉山した後は徐々に赤字路線となり、国鉄からJRに変わって、小さな駅が何駅か開業されたにも関わらず、廃止となった。
と同時に第3セクター管理の、わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線(以下「わ鐵」)として、心機一転開業された。
「わ鐵」になってからは、イベント列車(トロッコ列車)を走らせるなど、観光路線としての道を歩み続けている。
また、地元の学生やお年寄りの重要な交通手段としても、この路線は重宝されていることだろう。
しかし、経営状態は決して良いものでは無いらしい。
「わ鐵」になった後も、何度か廃線の危機に面したということだ。




8時8分。
列車は定刻通り、ディーゼルエンジンをフル稼働させて、終点の間藤に向けて出発した。
電車よりスピードは遅く、環境にも優しくないかもしれないが、私は気動車が大好きだ。
電車にはない、このエンジン音、この振動。
気動車に乗るのも好きだが、走る気動車を見るのも好きだ。
ひなびた風景の中、ポツンと1両か2両編成の気動車が現れて、走り抜けてゆく姿は何とも絵になる。
そして何よりも「気動車」という言葉自体が良い。哀愁を感じる。「ディーゼルカー」という言い回しも然りだ。
一方の「電車」という言葉、嫌いではないのだが、それに比べれば何だか味気なく感じてしまう。


わたらせ渓谷線は、足尾線開業以来から、全線通して単線・非電化路線である。
トロッコ列車は、ディーゼル機関車のDE10が牽引する。
(2012年4月には、自走型のトロッコ車両も登場している)



桐生駅を出発した列車は、しばらく両毛線と同じ線路の上を走る。
渡良瀬川の鉄橋を越えて最初の駅「下新田(しもしんでん)」を出発した後は、
大きく右にカーブし、両毛線と別れたかと思うと、次は東武桐生線と並走する。
次の駅「相老(あいおい)」は、その桐生線との接続駅である。
相老を出ると桐生線と別れ、すぐさま上毛電気鉄道の線路の下をくぐる、という、序盤からめまぐるしく変わりゆく線路の流れを楽しむ事ができる。



列車は「大間々(おおまま)」という駅に着いた。ここで列車の交換が行われる。
車庫が有り、今乗車している車両と同じ色をした、何両かの車両が出番を待っている。
駅舎寄りの引込み線に、トロッコ列車が停留しているのも見えた。
この駅から乗車してくる乗客も少なくない。
駅舎は木造の割と大きな建屋で、思わず目がそちらに行ってしまう。
大間々駅には「わ鐵」の本社も置かれており、この路線の主要な駅である。


大間々を出発してから、いよいよこの路線の見せ場を迎える。
進行方向右側に、渡良瀬川の美しい流れが姿を現してくる。
これが、私が車両に乗り込んで真っ先に右側に陣取った理由である。
線路の流れを楽しんだ後には、清流の風景がこれでもかと言うほど存分に楽しめる。


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線路は、渡良瀬川と、国道122号線との間に沿ってひかれている。
桐生から間藤方面に向かう場合は、右側に渡良瀬川、左側に国道がしばらくの間並走する。


線路は、不規則に蛇行する渡良瀬川に忠実に沿っている為、大小関わらずカーブが多数存在する。
川の上流に進んでいく為、自ずと上り勾配も続くことになる。
その為、スピードを出せる区間がかなり限られている。
カーブに差し掛かるたびに、車輪とレールとが軋み合う音が響く。
列車は、ゆっくり、しかし力強く、渡良瀬川の渓谷を突き進んでゆく。


大間々の次に、「上神梅(かみかんばい)」という駅に着いた。
車内放送にて、この駅の駅舎は大正元年に建てられ(昭和初期に増築)、国の登録有形文化財に登録されているとの案内があった。
美しい印象の駅名に恥じないような、確かに大変歴史のありそうな木造駅舎は、思わず見とれてしまう。


渡良瀬川の景色を30分程楽しんだ後、「神戸」と書き、「ごうど」と読む駅に着く。
この駅については後ほど詳しく述べる。


神戸を発車するとすぐ、車内放送にて長いトンネルに入る事を聞かされる。
この辺りが、観光路線らしい振る舞いだ。
JR上越線では、清水トンネルに入る旨の放送などありはしなかった。


それにしても長いトンネルだ。全長5キロはあるらしい。


10分程かかって、やっとトンネルを抜けた。
その途端、列車は長い鉄橋を渡り始める。
この鉄橋にて、渡良瀬川越えを慣行するのだ。
鉄橋を渡りきった後は、進行方向左側に渡良瀬川を臨むことになる。
この先はしばらく自然豊かな、秘境と呼んでも遜色無いような地形を走り抜ける。



「原向(はらむこう)」という小さな駅に着いた。ここはもう栃木県だ。
駅を発車してしばらく進むと、車窓は今までの風光明媚な景色から一変する。



見えてくるのは、



連なる巨大な廃墟…
爪痕が残ったままの、所々はげあがった山々…



足尾銅山が衰退していったその姿をまざまざと見せ付けられる。


この車窓に、何とも言えない哀愁を感じた。
美しい渓谷の先にあるのが、このような世界だとは…
この先、何度同じ景色を見ても、その度同じ哀愁を感じるのであろう。




桐生から1時間半足らず、
ようやく列車は小さな終着駅に着いた。
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1時間半というのは、高崎線だと上野から本庄まで乗った場合にかかる時間である。
高崎~本庄間の距離は約82㎞。
一方、わ鐵の桐生~間藤間の距離は約44㎞。

まったく随分のんびりとした路線だ。
しかし遅いことが全く嫌にならない、不思議な路線だ。


ホームに降りると、比較的涼しく感じる。

この駅は、結構標高の高いところに位置するようだ。


ようやく間藤に到着したわけだが、今回の旅の目的地はここではない。
終着駅の、さらに向こう側だ。



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