第1旅第5章:豊橋~名古屋~塩尻~第2の目的地へ | もこ太郎の平成阿房列車

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私が行った鉄道の旅をレポートさせて頂いています!
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小和田駅の別れを名残惜しみながら、列車は豊橋へ向けて出発した。
この前に乗車して来た列車と同様、この列車も車内は閑散としていた。


豊橋に近づくにつれ、一駅一駅何人かの乗客が乗り込んでくる。
小和田から豊橋まで37の駅が存在する。
一つの駅で1両に乗り込んでくる乗客が3人いたとしよう。

すると豊橋に着くときには1両に100人以上はいる計算になる。
実際豊橋に着いたときは、本当にそれくらいの人がいたのではないか?

そう思うほど、車内はすし詰め状態に近かった。
車両は窓を背に向けて座る、いわゆるロングシートだった。

おかげで、混雑した車内からは景色は殆ど見えなかった。



小和田から約2時間半、列車は定刻通り、豊橋駅の2番線に到着した。
豊橋駅の飯田線ホームは1・2番線。

その両方とも車止めが設置されている。


豊橋駅はこの日下車した駅の中では、一番大きな印象をうけた。
そして面白いことに、

豊橋駅の3番線は名古屋鉄道(名鉄)が有するホーム。

4~8番線が東海道本線のホーム。(11~13番線は新幹線ホーム)
私鉄である名鉄のホームの両脇を、JRのホームが挟み込んでいるのだ。
これは飯田線が、昭和18年まで私鉄(豊川鉄道)であったことの名残であると思われる。
3番線ホームには簡易改札機が設置されている。

JRと名鉄の乗り換えの時にこの改札機が使われるのだろう。


ホームに降りると、流れる人の波の中に、小和田で会話を交わした二人組の学生がいた。

「豊橋」の駅名標と並んで記念撮影を行っていた。



有人改札口で18きっぷを提示し、駅を出た。
時刻は夕方6時半を過ぎていた。

真夏の暑さはこの時間になっても衰えを見せない。


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さっそく、予約していたビジネスホテルへ、チェックインに向かう。
小さなビジネスホテルだが、駅に近く、お盆の時期にしては料金が安かったので迷わず予約しておいた。


ホテルの受付まで来ると、経営者の親族の子供と思われる7,8歳くらいの男の子が、虫取り網を振り回しながらフロアを走り回る。
「セミが入ってきとる~~」
確かに小さな蝉が飛び回っている。


ちょっと面喰っている私の前に、経営者と思われる初老の夫婦が奥から出てきた。
私もオーナーも笑みを交わしながら、
「どうもお騒がせしてすみません、ようこそいらっしゃいました」
気の良さそうな感じの経営者だ。

前金で宿泊代を支払い、部屋の鍵を受け取る。


私が部屋に向かおうとしている時には、蝉は男の子の手によって、既に捕まえられていたらしい。



部屋は2畳あるかないかという広さ(「狭さ」と言ったほうがいいのか?)で、シングルベッドが置かれている。
素泊まりなので、これには特に文句は無い。


テレビは、15インチあるかないかの大きさ(「小ささ」と言ったほうがいいのか?)。
これも、まあ文句は言うまい。



今日はたくさん汗をかいた。さっそくシャワーを浴びよう。



お湯がなかなか出ない…
やっとお湯が出たと思ったら熱すぎる…
少しだけお湯の温度を下げたら、また水になってなかなかお湯が出てこない…

これには少々まいってしまった…


夕食は、豊橋駅前にある全国チェーンの格安中華料理屋で取った。
生中の肴にこの店名物の餃子、そして焼きそばを頂いた。
久しぶりにビールが美味いと感じ、思わず2杯も飲んでしまった。



部屋に戻って、明日からの旅の行程を考える。


まずは目的地だ。
豊橋から無理なく行ける場所が望ましい。
飯田線の、小和田以外の秘境駅にも行きたい気持ちもある。

しかしルートは今日とは全く異なるものにしたい。




よし、ここにしよう。
かなりの思い付きで目的地を決めてしまった。



次は宿泊先を決める。
目的地から電車で移動して…
夕方にはこの辺りに着くから…



急いで次の宿泊先ホテルの空き部屋状況を、携帯のネットで調べる。
空きがあったようだ。すぐに予約手続きを行う。


よし、これで今日すべき事は全部済んだ。
ゆっくり休もう…





2011年8月13日

狭い部屋ながら、エアコンが程よく効いてよく眠れた。
朝6時の目覚めも快適だ。


準備を整え、6時半にはチェックアウトを行った。
この時は、ホテルに対してはあまり良い印象は持てなかった。

しかし、今になってふと思う時がある。

あの経営者夫婦は今でも元気だろうか…?
そう考えると、またあのホテルで泊まってもよいかな?と考えてしまう。


お盆休みに入っている早朝の豊橋駅は、人もまばらであった。


駅前には、路面電車の電停がある。
そう、豊橋には路面電車も走っているのだ。


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路面電車にも一度は乗ってみたいが、またの機会に、ということにして駅の改札に向かう。


18きっぷに2回目の検印を貰う。

7時丁度発、東海道本線大垣行き下り快速列車に乗り込む。


列車は三河地方を走り抜け、7時51分、定刻通り名古屋に到着。



名古屋は私が学生時代に住んでいた場所だ。いわゆる第2の故郷のようなものだ。
しかし名古屋でゆっくりできる時間は無い。

すぐさま8時17分発、中央本線の塩尻行き下り快速「ナイスホリデー木曽路」に乗りこむ。


東海道本線から中央本線への乗り換えは、名古屋駅から2駅隣の金山駅で乗り換えるのが便利だ。

しかしナイスホリデー木曽路は名古屋が始発。
もし金山で乗り換えれば、名古屋から乗車した客で既に混雑している恐れもあった。

そんな理由から、あえて名古屋まで足を延ばしたわけだ。


愛知県内の中央本線に乗るのは、実に10年以上ぶりであった。
学生当時の最寄駅「鶴舞」は、当時は快速の停車しない駅だったのだ。

なのに私の乗った快速列車は鶴舞に停車した。時代は変わるものだ。


多治見駅の2つ手前の定光寺駅は、上りホーム側に庄内川(愛知県内での名前で、岐阜県内では「土岐川」と呼ばれる)が流れており、ホームから美しい景色が臨める。



名古屋から3時間かけて、また塩尻に戻ってきた。
ここで篠ノ井線に乗り換える。
名古屋に続いて、ここ塩尻でも今日はゆっくりしている暇は無い。
昼食用のおにぎりを買って、列車に乗り込む。




11時28分発、長野行き下り普通列車。
この列車が、私を次の目的地までいざなう。


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