西南戦争激戦地 伊佐市大口 高熊山明治10年の西南戦争時の激戦の地となった伊佐市大口の 高隅山へ「霧島歴史研究会」のメンバーで訪れました。 ・・高隅山 標高412m ・・ 山頂の記念碑と駐車場、TVとFM局の中継所となっている。 ・・ 薩摩軍の陣地になった所で激しい戦闘のなごり、弾痕の跡が残る石。 堡塁(塹壕)が数か所見られる。当時はもっと深く人が入り銃で戦ったところ。 山頂から見る伊佐市。 ・・ ・・当時使用された銃と幟の模型 (会長所有)
姶良市 掛橋坂掛橋坂 その2 ・・坂に沿って流れる清水。 ・・周りは杉林。 ・・杉の枯葉が落ちている。 ・・石畳は約1kmほどの坂。白銀坂、龍門司坂とともに江戸時代から明治にかけての幹線道路だったとのこと。 石畳を横切る水路 加工される前のくさびの跡が残る石。 明和九年(1,772年)の文字が彫られた記念碑 坂道の上場の岩に刻まれた「寛政八年 丙辰 奉寄進」(1,796年) の文字。 この石畳の坂道が完成したとされる年である。
姶良市 掛橋坂(かけはし坂)姶良市蒲生町西浦の山間部で石畳の道「掛橋坂」が最近になって脚光を浴びている。 坂は周辺住民が知るのみで、このほど姶良市の教育委員会が清掃作業を行い公開された。 江戸時代から明治初めの幹線道路であっただろうとのことで、市の文化財指定に向けた取り組みが行われているとのこと。 坂の頂上付近は水田がある。これより坂を下る。 姶良市の友人に案内してもらう。 もともとは危険な板敷きの桟(かけはし)であったろうとの事。 右側が崖になっている。 この付近が桟(かけはし)のいわれになった所か? 岩山の石が加工され石畳に使われたようである。 小さな滝があり石畳に沿って流れている。