⭐︎しばらくご無沙汰していました⭐︎
4月22日に、余命2、3ヶ月です と宣告を受けた母
10年前に乳がんを患い、その後 全摘手術を受けていたこともあり、定期検査をうけていました
乳がんが肝臓に転移している、とのことでした
今年の3月には父と京都旅行も行き、ぴんぴんしていて元気だったので、お医者さんに そんなことを言われても なんだか実感が沸かず…
母も「こんなに元気だし モリモリ食べれるから ばあちゃん しなないわぁ🎶なにかの間違いだわ きっと」と笑っていました
さらには、こんな夢を見た、とも言っていました
「わたし、生きてるよ!先生 誤診だったしょ って病院に言いに行ったら、先生が菓子折り持ってうちに謝りに来た夢見たんだよ〜」と笑っていました
でも、少しずつ少しずつ食べられなくなり、動けなくなり、寝ていることが増え…
内心は怖かっただろうな、と思います
でも、最後まで 取り乱すこともなく、落ち着いていました
勿論、時々 不安を漏らしたりすることもあったけど
父に八つ当たりしていることもあったけど笑笑
母は
これまでの人生、幸せだった
と、言いました
考えてみると
母の怒った顔とかイライラした様子とか、見たことがないかも。
いつも前向きで
社交ダンスや着物の着付けの免許を取ったり、水泳に通ったり。
人生を楽しんでいたように思います
わたしにも
なんでも挑戦してごらん
やってごらん
そう言ってくれてました
子供の頃から、ずっと
わたしの好きなようにさせてくれて、いつも見守ってくれていました
7月7日の七夕が母の誕生日
6日に妹も来たので、皆でハッピーバースデイの歌を歌って、ダイニングテーブルに座って、ケーキのキャンドルを父と一緒に吹き消していました(力が出なくて消せなかったけど)
なのに8日の朝に亡くなってしまいました
訪問看護を受けながら、ずっと自宅で過ごしていましたが、亡くなる前日の7日に看護師の方の勧めで救急搬送されました
あまりに呆気なく
眠るように、本当に静かに逝ってしまいました
息を引き取る瞬間まで 側で話しかけられたのが救いです
お医者さまは
お母さまは我慢強い方でしたか?
こんなギリギリまでご自宅で過ごすことができてよかったですね
少しでも長く自宅に居たかったんですね
ご家族の方もよく がんばりました
優しく笑いながら
そう言ってくれました
亡くなってから、色々わかることもあって
本当に強い、芯の強い女性だったな
そう思います
もしわたしが母の立場だったら
あんなに毅然としていられたかな…
そんな風に思います。
今回、北大病院と東札幌病院の方、訪問看護ステーション禎心会北の皆さんには本当にお世話になりました
いつも優しい言葉をかけてくださって、寄り添ってくれました
友人からも
いつでも呼んでね、飛んでいくからね
同級生からは
近いし、話聞くよ
と 言われ
心強かったな…
疲れて、ともすれば、父にきつい物言いをしてしまったこともあったけど
お友達からの言葉は
ひとりじゃない、と実感できて
ほんとに助かりました
取り乱して お友達に電話してしまったこともあったけど
友人は
うんうん、と聞いてくれました
ありがたかった。
お通夜、葬儀とバタバタと流れ
なんだか夢の中にいるような、不思議な1週間でした
妹も、恵庭市から頻繁に来て、父の食事の用意をしてくれました
父の補聴器を買いに付き添ったり、あちこち小まめに動いてくれました
葬儀が終わり、どっと疲れが出て
その後1週間 ヘンな感じでした
それでもやっと
走ろうかな…と思えるようになり
20日の土曜日、サロマ以来、初めて走りました
5㎞ キロ6′16くらいだったかな
上出来です
また ぼちぼち ゆっくりと
走ろうと思います
皆さんのブログにも ゆっくりと訪問させてくださいね