高速を飛ばして帰省した。
前日、綾子さんに会いに行くことを
夫に説明しているときに
よその人もいいけど、
自分の親とも話をするよう
夫に諭されたのだ。

そう言えば、
しばらく会ってないなぁσ(^_^;)
もうすぐ74歳の誕生日を迎える父親と
10月で72歳になる母親
おかげさまで、二人共元気でいる

でも、元気でいてくれるのが
当たり前ではないよね~
そうだ!夫の言う通り‼︎
元気なうちに会って
顔をみせておく
話をしておく
これが一番の親孝行

そう思うと、
アクセルを踏む足に力が入る

約2時間かけて着いた実家
母親が車のエンジン音を聞き付け
迎え出てきた、その第一声
『お帰り。よく帰ってきたね~。
何か大事な話でもあるん?』
と、緊張した面持ちである

私がキョトンとして

帰省に至った詳細を説明すると、
『あ~よかった。安心したわ。』
と、一転して表情が緩んだ

どうやら、家を出る前に私がかけた
電話が原因らしい

『今から帰る』とだけ告げられた母は
不安を募らせていたらしいのだ

そのため、朝ご飯も
のどを通らなかったらしい

そんなつもりは全くなかったけど、
そこまで心配させていたなんて!
あ~、いつまで経っても
私は娘なんだなぁ~‼︎って、実感した。
心配かけてごめんね。
両親にも感謝。ありがとうm(_ _)m
そして、久しぶりにゆっくり話をした
すると、初めて聞いた話にびっくり

それは…
母が7年程前に交通事故に遭った
かなり重症だったが、
ここにも、ウソのような本当の話があって
改善した。
主治医も、とても驚いていたことを
思い出す

母は、『神様のおかげだ』と、
喜んでいた。
しかし、その後2年ほど
軽いうつ病に罹っていた

というのだ

私は、全く気付かなかった

あれほど話好きの母が
誰とも会ったり、
話たりすることが
できなくなっていた
という。
その間もちろん、子供や孫達とも
会ったり、話したりしていたが、
私は、気付かなかったのだ。

『辛かったね、知らなくてごめんね。』
と、謝った

母が育った時代は
愛する者(守るべき者)のためなら、
『自分さえ我慢すればいい』
という考えが主流だった。
それを今でも正しいと思っている。
まず自分が幸せになっていいこと、
そしたら、それが周りに波及すること
を説明した

それが母にすぐに受け入れられるとは
思っていないが
少しずつでも理解し
残された人生を幸せに
生きて欲しいと、願った

貴重な時間を過ごすことができた

こんな時間を過ごすことを
勧めてくれた夫に感謝しつつ、
実家を後にした。
宇宙よ、貴重な時間をありがとうm(_ _)m